【DDT/M&Aプロレス】高木が8・19上野での「超日本プロレス」旗揚げを宣言 MIKAMIがTAKAと対決 2025/6/25

『高木三四郎30周年プロジェクト「M&Aプロレス〜サブタイトル未定〜』新宿FACE(2025年6月25日)

 高木三四郎が8・19上野大会での「超日本プロレス」旗揚げを発表した。

 高木は2・3新宿でデビュー30周年記念大会『NEVER SAY NEVER』を開催。その流れで4・9上野で『M&Aプロレス〜MatchMake & Agent〜』を開催。今回が第2弾興行となった。

 オープニングに登場した高木は「M&Aプロレス、今日で解散します。今日で最終回。高木三四郎30周年プロジェクトと題がついていれば何でもいいんです」と宣言。「次回8・19上野で名前を変えます。その名は超日本プロレス!」と発表した。

 DDTが19997年に高木、三上恭平(現・MIKAMI)、野沢一茂(現・NOSAWA論外)のメンバーで旗揚げされた際、野沢が団体名候補として「超日本プロレス」を挙げたが、高木が却下したという。わずか2大会での名称変更で、28年の時を経て、その名称が採用されることになった。

 メインで永田が大家に勝利した試合後、高木がリングに上がった。「今日で解散なんですけど、8月19日、超日本プロレスとしてリスタートを切ることになりました。永田さんには、そこのエースとして」と切り出した高木は「その旗揚げ戦で永田さんと組みたいってヤツらがいるんです」と明かした。

 現れたのはバラモン兄弟。高木が「永田さん、8月19日、上野大会でバラモン兄弟と組んで、メチャクチャ熱い試合をしてください」と懇願すると、バラモン兄弟も「ユウジ、僕たちと一緒にバラモンやろうよ。僕たちもユウジと一緒にブルージャスティスしたいんだ!」とラブコールを送った。

 永田は4・9上野でバラモン兄弟と対戦。散々な目に遭っていることもあってか「ごめんなさい」と拒否した。そのまま退場すると、あきらめきれないバラモン兄弟がバックステージまで追いかけ、「この間、心が通じ合ったと思ったのに。夏の思い出作ろうよ!」と呼びかけたものの、永田は首を縦に振らず。「ごめんなさい」とあらためて拒んで去っていった。

 リングに残った高木は「あとはバラモンに任そうと思います。皆さん、正式な発表をお待ちください」との意向を示した。「超日本プロレスはDDTの名前の案だったんですけど、却下されてDDTが生まれた。だから超日本プロレス、どうしてもこいつが必要だと思って呼んでます」と続けると、DDT旗揚げメンバーのMIKAMIが現れた。

 高木は「もう1回、超日本プロレスの名前で、28年前に戻ったつもりで、歴史を塗り替えよう」と呼びかけ、「8月19日、MIKAMIの対戦相手はお前と縁の深いTAKAみちのくだ!」と旗揚げのカードを発表した。これを受けてMIKAMIは「TAKAさんとはユニバーサル、みちのくと縁深い。TAKAさんとやることで俺も引き締まるから。初心に帰って、ゼロから超日本プロレスとしてやらせていただきます」と意気込んだ。

【高木の話】「自分のなかでずっと引っかかってたことがあって。超日本プロレスやりたいなってずっと思ってて。今もう一つの世界線みたいなのがブームじゃないですか。あの時代とはまた違う時代、なんか新しいものを作りてぇなって。旗揚げメンバーのMIKAMIに声をかけました。お互いに年は取ったけど、気持ちだけは若くいたいじゃん。今同じ50代。40、50、60で頑張って。そういう人たちの糧になりたい。活力を与えたい。だから、もう一つの世界線ということで、超日本プロレスやろう!」