【A-TEAM】橋本友彦さん追悼大会開催 42選手が鎮魂ファイト 2025/8/24
『「橋本友彦追悼大会 お疲れ様!!いままでありがとう!!」』が24日、東京・新木場1stRINGで開催され、団体の枠を超えて42選手が参加。天国の橋本友彦さんに全力ファイトを捧げた。 昨年2月に体調の異変を覚えた橋本さんは病院を受診したところ、肝臓に異常が見つかった。それでも試合出場を続けていたが、検査の結果、同年9月9日に肝臓がんステージ2と告知された。同年11月19日には都内の病院でラジオ波焼灼術による治療を受け、体調は万全ではなかったものの同年12月に復帰。その後の定期検査でいったんはがんが消えたこともあった。 ところが、今年5月の定期検査の結果が芳しくなかったため、同中旬に精密検査を受けたところ、治療が極めて難しい部位にがんが再発していることが判明。主治医から西洋医学での治療は困難との宣告を受けた。別の病院を回ったが医師から伝えられた答えは同じだった。 一時は失意のどん底だった橋本さんだが、東洋医学、湯治、食事療法などで治療を行っていくことを決断。治療に専念するため、6月22日、千葉・オリエンタルホテル東京ベイ大会で休業前ラストマッチを行い、「必ずどんな形であれ、もう一回戻ってきます」とファンに約束した。 A-TEAMでは橋本さんの高額な医療費を支援するため、8・24新木場大会『橋本友彦AID大会 One Heart,One Fight,All for You〜大丈夫!絶対に大丈夫!みんな待ってるよ!』の開催を決定。橋本さんも体調がよければ来場する予定になっていたが、その後、橋本さんの体調が急変し、8月5日に47歳の若さで帰らぬ人となった。 予定されていた『橋本友彦AID大会』は趣旨を変えて、『橋本友彦追悼大会』として行われることになった。趣旨に賛同した所属団体のA-TEAMを始め、ZERO1、ストロングスタイルプロレス、FREEDOMSなどから42選手が参加。全選手、全スタッフがノーギャラで参加し、会場費、必要経費を除いた全額を橋本さんのご遺族に贈ることになった。 天国の橋本さんに届けとばかりに、第0試合から熱闘が展開された。メインイベント(第7試合)では、A-TEAMの下田大作&長谷川一孝がFREEDOMSの佐々木貴&GENTAROと激突。一進一退の激しい攻防となり、最後は貴がDガイストで長谷川を仕留めた。 試合後、橋本さんとDDT時代の戦友だった貴は「友彦は俺たちプロレスラーにとって最強のライバルだし、最高のパートナーでもあったし、メチャクチャ楽しい友だちでした」と思いを口にし、「友彦を失った喪失感はとてつもなく大きなものではありますが、今日も新木場1stRINGのどこかで絶対見ててくれたと思います。ハッシー、俺たちのプロレスどうだった? 面白かっただろ? 最高だっただろう! いつか俺たちもそっちに行くから、一緒に最高のプロレスをやろうぜ!」と天国の橋本さんへ向けてメッセージそして「長谷川、俺とGENの追悼大会に出たいという思いを汲んでくれて、メインでカードを組んでくれてありがとうございました。A-TEAMがこれからどう団体を動かしていくか、正直俺にはまだ分からない。長谷川さん自身もハッキリ道が決まってなくて、悩んでる部分もあると思う。若い選手もいっぱいいるしな。そういうときはいつでも連絡してきて、なんでも相談してくれよ。いつだって、こうやって駆けつけるし、お前らのためだったら何でもするぜ。それが俺たちと友彦の仲をまたしっかりつないでくれた、A-TEAMみんなへの俺たちからの恩返しだ」と橋本さんが残したA-TEAMの面々にエールを送った。 これを受けて長谷川は「絶対倒したい、憎きFREEDOMSでしたけど、そんなこと言われたら連絡しちゃうじゃないですか。そんないいマイクされたら。僕らは誰一人引退しないし、僕はA-TEAMを一人でも守っていこうと思ってます」と宣言。「そのときはあなたの力を借りると思うけど、あなたたちの首、狙ってることだけは忘れないでください。今日は完敗だったけど、友彦、見てくれたか! あいつもいつまでも僕らがくよくよしてたら、あの世にいけないと思うんで。僕も今日からどんどん前を向いて、しかし友彦のことを忘れずに突き進んでいこうと思います」と誓いを立てた。 そして、追悼セレモニーでは夫人・橋本美穂さんが「本日参加していただいた選手の皆さま、スタッフの皆さま、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございます」と感謝。「橋本自身も今日の大会を楽しみに、7月に新たな治療に挑みましたが、志半ばで永眠することになりました。今日はこの会場で皆さんとともに観戦してると思いますので、笑顔で送り出したいと思います。本日はご来場ありがとうございます」とあいさつ。最後に追悼、プロレスラー引退の10カウントゴングが橋本さんに捧げられ、町田達哉リングアナによる涙のコールで追悼大会は幕を閉じた。 ※撮影=伊藤ミチタカ
『「橋本友彦追悼大会 お疲れ様!!いままでありがとう!!」』が24日、東京・新木場1stRINGで開催され、団体の枠を超えて42選手が参加。天国の橋本友彦さんに全力ファイトを捧げた。
昨年2月に体調の異変を覚えた橋本さんは病院を受診したところ、肝臓に異常が見つかった。それでも試合出場を続けていたが、検査の結果、同年9月9日に肝臓がんステージ2と告知された。同年11月19日には都内の病院でラジオ波焼灼術による治療を受け、体調は万全ではなかったものの同年12月に復帰。その後の定期検査でいったんはがんが消えたこともあった。
ところが、今年5月の定期検査の結果が芳しくなかったため、同中旬に精密検査を受けたところ、治療が極めて難しい部位にがんが再発していることが判明。主治医から西洋医学での治療は困難との宣告を受けた。別の病院を回ったが医師から伝えられた答えは同じだった。
一時は失意のどん底だった橋本さんだが、東洋医学、湯治、食事療法などで治療を行っていくことを決断。治療に専念するため、6月22日、千葉・オリエンタルホテル東京ベイ大会で休業前ラストマッチを行い、「必ずどんな形であれ、もう一回戻ってきます」とファンに約束した。
A-TEAMでは橋本さんの高額な医療費を支援するため、8・24新木場大会『橋本友彦AID大会 One Heart,One Fight,All for You〜大丈夫!絶対に大丈夫!みんな待ってるよ!』の開催を決定。橋本さんも体調がよければ来場する予定になっていたが、その後、橋本さんの体調が急変し、8月5日に47歳の若さで帰らぬ人となった。
予定されていた『橋本友彦AID大会』は趣旨を変えて、『橋本友彦追悼大会』として行われることになった。趣旨に賛同した所属団体のA-TEAMを始め、ZERO1、ストロングスタイルプロレス、FREEDOMSなどから42選手が参加。全選手、全スタッフがノーギャラで参加し、会場費、必要経費を除いた全額を橋本さんのご遺族に贈ることになった。
天国の橋本さんに届けとばかりに、第0試合から熱闘が展開された。メインイベント(第7試合)では、A-TEAMの下田大作&長谷川一孝がFREEDOMSの佐々木貴&GENTAROと激突。一進一退の激しい攻防となり、最後は貴がDガイストで長谷川を仕留めた。
試合後、橋本さんとDDT時代の戦友だった貴は「友彦は俺たちプロレスラーにとって最強のライバルだし、最高のパートナーでもあったし、メチャクチャ楽しい友だちでした」と思いを口にし、「友彦を失った喪失感はとてつもなく大きなものではありますが、今日も新木場1stRINGのどこかで絶対見ててくれたと思います。ハッシー、俺たちのプロレスどうだった? 面白かっただろ? 最高だっただろう! いつか俺たちもそっちに行くから、一緒に最高のプロレスをやろうぜ!」と天国の橋本さんへ向けてメッセージそして「長谷川、俺とGENの追悼大会に出たいという思いを汲んでくれて、メインでカードを組んでくれてありがとうございました。A-TEAMがこれからどう団体を動かしていくか、正直俺にはまだ分からない。長谷川さん自身もハッキリ道が決まってなくて、悩んでる部分もあると思う。若い選手もいっぱいいるしな。そういうときはいつでも連絡してきて、なんでも相談してくれよ。いつだって、こうやって駆けつけるし、お前らのためだったら何でもするぜ。それが俺たちと友彦の仲をまたしっかりつないでくれた、A-TEAMみんなへの俺たちからの恩返しだ」と橋本さんが残したA-TEAMの面々にエールを送った。
これを受けて長谷川は「絶対倒したい、憎きFREEDOMSでしたけど、そんなこと言われたら連絡しちゃうじゃないですか。そんないいマイクされたら。僕らは誰一人引退しないし、僕はA-TEAMを一人でも守っていこうと思ってます」と宣言。「そのときはあなたの力を借りると思うけど、あなたたちの首、狙ってることだけは忘れないでください。今日は完敗だったけど、友彦、見てくれたか! あいつもいつまでも僕らがくよくよしてたら、あの世にいけないと思うんで。僕も今日からどんどん前を向いて、しかし友彦のことを忘れずに突き進んでいこうと思います」と誓いを立てた。
そして、追悼セレモニーでは夫人・橋本美穂さんが「本日参加していただいた選手の皆さま、スタッフの皆さま、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございます」と感謝。「橋本自身も今日の大会を楽しみに、7月に新たな治療に挑みましたが、志半ばで永眠することになりました。今日はこの会場で皆さんとともに観戦してると思いますので、笑顔で送り出したいと思います。本日はご来場ありがとうございます」とあいさつ。最後に追悼、プロレスラー引退の10カウントゴングが橋本さんに捧げられ、町田達哉リングアナによる涙のコールで追悼大会は幕を閉じた。
※撮影=伊藤ミチタカ