【G馬場没25年追善興行】『G馬場没25年追善大会』来年1・31後楽園で開催 太陽ケア引退試合、鈴木みのるとGURENTAI再結成 2024/11/12

 『ジャイアント馬場没25年追善〜太陽ケア引退試合〜木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』の開催発表会見が12日、東京・飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで行われ、太陽ケア引退試合などが決まった。

 “東洋の巨人"馬場さんが1999年1月31日に61歳で亡くなってから今年で25年。26回目の命日となる来年1月31日、聖地・後楽園で没25年追善大会の開催が決まった。

 馬場さんの側近だった和田京平レフェリーが大会実行委員長を務め、当日はゲストとして天龍源一郎、渕正信、武藤敬司、川田利明、田上明、小橋建太と全日OBが来場する。全6〜7試合を予定し、大会開始時に馬場さんの追善セレモニーを行う予定となっている。

 今年、京平レフェリーが50周年、木原リングアナが35周年を迎えた。そして馬場さんの没25年。「後楽園ホールさんに問い合わせたら、なんと1月31日、馬場さんの命日が空いてるということなんで、これは馬場さんがやれということで。やらないと絶対にダメっていう経緯でとんとん拍子に運んだ」と開催の経緯を説明した京平レフェリーは「今回、馬場さん没25年。我々は50周年、35周年、これは端に置いておいていいんじゃないかな。馬場さんのためにやりたい」と話した。

 この日、対戦カード2試合が発表となり、馬場さんの愛弟子であるケアの引退試合が決まった。ケアはハワイ滞在中の馬場さんに直訴して全日本の門を叩き、1994年11月26日にプロレスラーとしてデビュー。全日本分裂後の2000年に太陽ケアに改名し、2006年7月に三冠ヘビー級王座初戴冠、チャンピオン・カーニバル2度の優勝(2006年、2012年)を筆頭に、数々の実績を残した。

 最近はリングを離れ、実業家として活動。馬場さん没25年大会での現役引退を決意した。昨年6月の全日本参戦以来、1年7ヵ月ぶりの来日となるケアは鈴木みのる&MAZADAとGURENTAIを再結成し、秋山準&丸藤正道&小島聡と対戦する。ケアはラストマッチへ向けて「1月31日、馬場さんの命日の試合。俺の引退試合…俺は後楽園ホールで最後のリングに立ちます。引退試合を行います。俺の最後の試合、応援をお願いします。ぜひ会場にお越し下さい。俺のそばに居て下さい。後楽園ホールで会いましょう。ブイヤー!!」とメッセージを送ってきた。

 ケアと深い関係にあったのが鈴木だ。2006年9月に三冠王座初戴冠を果たした時の相手がケアで、その後、GURENTAI、超党派軍などで共闘。2008年6月に第55代世界タッグ王者となっている。鈴木にとってケアは「日本とハワイアンと全然言葉違うんですけど、心が通じるというか、すごくしっくりくるというのが一番表現としては正しいかもしれないですね。プロレスやっていて凄く楽しいパートナーだった」というほどの存在。「凄く思い入れのある仲間というか、友達というか、兄弟みたいにずっと一緒にいた」と当時を思い返すように話した。

 「まったく知らない文化を教えてもらった人間ではある。ジャイアント馬場プロレスというものに俺は全く触れてなかったんで、馬場さんの教えというか、そういうのをケアを通して知ったっていうのは、かなり自分のプロレス人生において大きかった」とケアを通して受けた影響も大きい。その異国の盟友がリングを去ることになり、「プロレスやっていて凄く楽しいパートナーだったんで、またいつか一緒にやりたいと思ってたんですけど、まさかそれがあいつの引退試合になるとは思ってもなかった」と寂しさものぞかせたが、鈴木は「忘れちゃいけないのは、鈴木みのるをその中に入れたってことはメチャクチャになることだけは確か」と言い切った。

☆1月31日(金)『ジャイアント馬場没25年追善〜太陽ケア引退試合〜木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』17:30開場、18:30開始

▼スペシャルストリートファイト・トルネードバンクハウス8人タッグデスマッチ
ブラックめんそーれ
竹田誠志
石川修司
葛西純
vs
宮本裕向
雷神矢口
河上“ファイヤー"隆一
大仁田厚

▼ジャイアント馬場没25年追善〜太陽ケア引退試合〜
小島聡
丸藤正道
秋山準
vs
MAZADA
鈴木みのる
太陽ケア

[大会実行委員長]
和田京平レフェリー

[来場ゲスト]
天龍源一郎、渕正信、武藤敬司、川田利明、田上明、小橋建太

[第1弾参戦決定選手]
新崎人生
井上雅央
佐藤光留
土井成樹
黒潮TOKYOジャパン
岩本煌史
阿部史典
立花誠吾


【会見の模様】

▼京平レフェリー「本日はお忙しい中、皆さん立派な記者会見ですけど、お越しいただき、ありがとうございます。今回、この馬場さんのイベントというか、本当は馬場さんのことがあんまり頭になかったんですけどね。僕が50周年だったんですね。50周年で何かやりたいなと思って、昔から仲がいい木原に相談したら、『僕は35周年ですよ』って。『タイミングよく俺が50周年、お前が35周年、なんかやろうか』って。『馬場さんが亡くなって25年ですよ』って言われて、そんな話で盛り上がって、馬場さんのためにやろうと。僕らのためにじゃなく馬場さんのために何かやろうという話がまとまって。何か昔の居酒屋さんで飲んでるような雰囲気でみんなでワイワイやりながら、これは何かやらなきゃダメだよって。馬場さんが亡くなって25年って聞いた時、こんな早いのと思って。プロレスファンであるならば、やっぱりジャイアント馬場、猪木さんとか忘れられてはいけないんでね。これを発案者と言ったら変なんですけど、やりたいって手を挙げて。木原リングアナ、緒方君、大隅社長と心強い仲間が集まって。会場借りるとなった時、やっぱり馬場さんと言ったら後楽園だろうと。武道館だと思ってるんだけど、後楽園ってそうそう借りれるもんじゃないんでね。後楽園ホールさんに問い合わせたら、なんと1月31日、馬場さんの命日が空いてるということなんで、これは馬場さんがやれということでね。これはやらないと絶対にダメっていう経緯でとんとん拍子に運んだんですけどね。1月31日。これは僕も忘れられない日で、これは上の方で馬場さんが『京平やれ』ってコツンと頭叩かれた気になって、うれしくてうれしくて。こういう運びで今回、馬場さん没25年。我々は50周年、35周年。これは端に置いておいていいんじゃないかな。馬場さんのためにやりたい。これがみんなの意見だったんですけどね。こういう運びなんで、どうか皆さん、応援してください。よろしくお願いいたします」

▼木原リングアナ「みなさん、こんにちは。今、和田京平さんが言っていただいたように、緒方さんも馬場さんの25年で、今年のイベントとかいろいろやってきて、京平さんも50周年。僕も35年経っていて、元子さんの七回忌にあたるのかな。だから一つの区切りじゃないですけど、そういったポイントがすべての方にあって、何かやりたいなと漠然としたものですけど持っていて。後楽園ホール様とお話しして、『1月31日空いてますよ』と言われまして。これはご命日にあたる日なので。この大会をやりたいなという部分から始まっていて、やらない選択もあったんですけど、1月31日と聞いてしまえば、もうやるしかないなと。馬場さんが亡くなって25年。馬場さんを知る人もいろいろと体調を壊したり、これを最後にみんなに集めたいなと思ってまして。その中で馬場さんと言えば外せないのが太陽ケア選手かなと思い、太陽ケア選手に『こういう大会を考えているんだよ』と言ったら、『私はプロレスを引退したい』みたいな話になりまして、じゃあ引退試合をやろうじゃないかということで」

▼ケアのコメント「こんにちは。アロハ。太陽ケアです。1月31日、馬場さんの命日の試合。俺の引退試合…俺は後楽園ホールで最後のリングに立ちます。引退試合を行います。俺の最後の試合、応援をお願いします。ぜひ会場にお越し下さい。俺のそばに居て下さい。後楽園ホールで会いましょう。ブイヤー!!」

▼木原リングアナ「私は引退試合をやりたいと。馬場さんの命日に大会がある。そこを引退試合をやりたいというメッセージが来まして、この日、引退試合をやることになりました。いろんな人の人間模様というか人生というかがかかわった大会だなと思ってますので、皆様、何卒、応援のほどよろしくお願い申し上げます」

▼緒方公俊氏「H.J.Tプロダクションの緒方公俊と申します。本日はご多用の中、記者会見にお越しいただき、ありがとうございます。2024年はジャイアント馬場没25年の節目の年にあたるということで、トークショーでしたり催事でしたり、そういったイベントを開催させていただきました。今回、主催者である京平さん、木原さんにお話をいただいたんですけど、当初23回忌をジャイアント馬場の冠大会の最後にしようと思っていたので迷った部分もあったんですけど、命日の1月31日に後楽園ホールが取れたと運命的なものを感じて、今回協力をさせていただきたいと思いました。厳密には来年の2025年1月31日は没25年ではないんですけど、没25年の集大成として、今年イベントをやらせていただいてたくさんのファンの方々にお越しいただきましたけど、お礼をお伝えさせていただける場になればと思っております。弊社では4大会をやらせていただいたんですけど、その際も京平さん、木原さんには多大なるサポートをしていただいた部分がありますので、今回、弊社としても協力させていただければと思います。今回、太陽ケア選手が引退されるということで、私自身、プロレスファン時代から好きな選手であり、ハワイに行ったときにお世話になり、たくさん思い入れのあるケアさんが引退されるということで、とても寂しく感じております。馬場夫妻にとっても太陽ケアさんはハワイの息子的な存在だったと教わったと記憶しております。そんなケアさんが馬場さんの命日である1月31日に引退されるのも運命なのかなと思っております。当日は馬場夫妻が笑顔で見守っていただけるように、太陽ケアさんをしっかり送り出したいと思います」

▼大隅良雄氏「みなさん、こんにちは。ドリー・ファンク・ジュニアPWF会長代理人の大隅良雄です。このたびジャイアント馬場さんの命日にあたる2025年1月31日に馬場さんのメモリアル大会を行うということにドリー・ファンク・ジュニアPWF会長も賛同し、大変喜んでおります。メッセージを預かっておりますので、ここで読まさせていただきます」

▼ドリーPWF会長のコメント「皆様、こんにちは。ドリー・ファンク・ジュニアPWF会長です。ネクスト・イヤー、馬場のメモリアルデー。東京・後楽園ホール、太陽ケア、リタイアします。彼はまだ若いですが、馬場さんのメモリアルデーでリタイアすることに私は賛同し、感動しました。太陽ケア、頑張ってください。そしてマイ・フレンド、タイガー木原はリングアナウンサー35年のアニバーサリーです。木原には昔から日本に来ると私たちをサポートしてくれています。気がつくと長い月日が経っています。馬場さんも天国に行って25年を超え、本当に時間が過ぎるのは早いですね。太陽ケア、頑張ってください。タイガー木原、頑張ってください。馬場さん、サンキュー・ベリーマッチ。日本のレスリングファンの皆様、温かいご支援をお願いします。皆様、頑張ってください。ネバー・クイット、ネバー・クイット、ネバー・クイット。フォーエバー」

▼木原リングアナ「ジャイアント馬場さんの付き人と言えば大仁田さん。大仁田さんを外すことはできませんので、大仁田さんにご相談したところ、大仁田さんからビデオメッセージが来ました」

▼大仁田のコメント「ファイヤー!! 1月31日はですね、馬場さんが亡くなって25年です。後楽園ホールで葛西純たちのチームとですね、邪道軍で戦いますのでぜひ観に来てください。おい、葛西純!! 君もチームを集めろ!! 俺、邪道軍もチームを集めるから、1月31日ぜひ後楽園ホールに来てください。試合形式はストリートファイト・トルネードバンクハウスデスマッチ。それでは待ってるぜ! ファイヤー!!」

▼木原リングアナ「大仁田さんの方から自分なりのやり方で馬場さんの供養をしたいということで決定したカードです。大仁田さんのアイデアもふんだんに入っています。大仁田さんが自分のやり方で馬場さんの供養をしたいという気持ちの表れだと思います」

▼京平レフェリー「太陽ケア選手、出会いはハワイでランチをしながら馬場さんに面接に来て、馬場さんが日本に帰る時、そのままケアも連れて帰って。立派なレスラーに育って。なにしろ馬場さんがイチから鍛えて、確かに強くなったですね。本当に太陽ケア、また名前も凄いんですけど太陽ですよね。それが引退するって聞いたときビックリしたんですけど、またこれも奇跡っていうぐらい馬場さんの命日。会った日、引退する日も馬場さんが絡んでる。これも本当に素晴らしい対戦というか、そこにやっぱり僕も最初から面接のときにいた縁もあるんで、レフェリーをやらせていただきたいと思います。このカードをメインに持っていって、和田京平50年のレフェリーを務めさせてもらいます。僕は期待したいです。私もその時、一生懸命張りきってやりますので、どうかこのカード期待してください。今日、鈴木選手みえてるようですので来ていただけませんか?」

※鈴木が登壇

▼鈴木「太陽ケアという選手は数多く僕のタッグパートナーって何人もで名前が挙がる選手がいるんですけど、その中でも僕個人的には一番思い入れがあり、あとはちょっと言葉では難しいんですけど、手が合うというか。日本とハワイアンと全然言葉違うんですけど、心が通じるというか、凄くしっくりくるというのが一番表現としては正しいかもしれないですね。プロレスやっていて凄く楽しいパートナーだったんで、またいつか一緒にやりたいと思ってたんですけど、まさかそれがあいつの引退試合になるとは思ってもなかったですね。ただ、僕は皆さん知ってる通りジャイアント馬場さんと何の縁もゆかりもないんですけど、太陽ケアを通して全日本プロレス、そしてジャイアント馬場さんとかかわりを持つことがこうやってできてる。ケアが繋いでくれたと思ってるので、今日は胸を張ってこの会見に来させてもらいました。最後の太陽ケアの勇姿、ぜひ楽しみにしていてください。つるし上げたりはしません。まあ8割ぐらいは任せますけど」

▼京平レフェリー「馬場さんの好きだった明るく楽しく激しくじゃないですけど、この日に限っては楽しいがいいなというのがあります。大仁田選手が無茶ぶりなカードを組んできましたけど、これはこれで激しいの方でいいのかな。このメンバーを見ると、どうしても激しくなりそうなので、激しさの中に明るさがあって、楽しさがあれば、馬場さんの思うプロレスであるんでね。この日に限っては皆さん好きにやりましょうよって感じなので」

▼鈴木「忘れちゃいけないのは、鈴木みのるをその中に入れたってことはメチャクチャになることだけは確かです」

▼京平レフェリー「そうなんだよ。だからそこの中で激しさが出るんだろうなって、ちょっと首ひねるところなんだけど、ちょっと抑えてください。この時、僕はレフェリーなんで、しっかりレフェリングさせてもらいます。皆さん、期待して。よろしくお願いします」

――馬場さんゆかりの催しはどんなものを予定している?

▼木原リングアナ「馬場さんにゆかりのある催し、ちょっと今考えてるのは馬場さんの全日本にいた選手、集合していただいて、追悼セレモニーを試合前、6時30分から行いたいと思ってますし、売店の方でも緒方さんから馬場さんに関するものを売ったりとか。いろいろ馬場さんにまつわるものは出てくると思いますので、そのへんは期待してください」

――ケア選手の引退を聞いた時、どんな思いになった?

▼鈴木「試合もしてないし、引退するんだっていう気持ちはありますね。ケア、ここだけの話…ここだけの話って記者会見ですけど、まあ、たぶん言っても大丈夫だと思うんですけど。俺が全日本プロレスに5年間ぐらいお世話になった後、新日本に参戦するようになって連絡もらったことがあります。『俺も行きたい』って。今だったら言えますけどね。それは実現しなかったですけど、凄く思い入れのある仲間というか、友達というか、兄弟みたいにずっと一緒にいたんで。まったく知らない文化を教えてもらった人間ではある。ジャイアント馬場プロレスというものに俺は全く触れてなかったんで、馬場さんの教えというか、そういうのをケアを通して知ったっていうのは、かなり自分のプロレス人生において大きかったですね。そんな気持ちが今、心の中でグルグルしてる感じかな。ああ、やめちまうんだって。一緒の時代に戦ってきた人間がどんどんいなくなる姿を見て、寂しいとはまた違うんですね。お疲れさんって感じですかね」

――GURENTAIへの思い入れは?

▼鈴木「GURENTAIっていうのは俺と太陽ケアと、そこにMAZADAとNOSAWA論外がいて、4人でスタートしたグループで。当時、武藤全日本と呼ばれた全日本プロレスに対して、太陽ケアに本当にこのままでいいのか?っていう強いイライラした気持ちがあって、それをぶつけてスタートしたんですよ。やってることは本当に愚連隊ですからね。やりたい放題というか。1個だけ、あの時、実は気をつけて試合してたことがあるんですよ。よかったら映像とかを見て欲しいんですけど、反則を1回もしてないですね。ルールを守ってました(笑) その代わりプロレスのルールなんで、たとえば5カウント数えられなければOKとか、レフェリーが見てなければOKとか、そういうプロレス特有のものがあるじゃないですか。そこをフルに使った…やってたことは実は昔から存在してることなんですけど、それを掘り起こして。20年前にこんなテクニックあったよね、30年前にこんな技が実はあったよねって掘り起こしてやってたのをすごく覚えてますね。GURENTAI、また一人現役いなくなっちゃいますね。それはちょっとグッとくるものがありますね」

――ゲストが登場するのは?

▼木原リングアナ「原則セレモニーですね。馬場さんのセレモニーおよびケアさんの引退セレモニーという形だと思います。トークショーとかは時間の関係上、考えてはいないです」

▼鈴木「試合やらせればいいんだよ」

▼木原リングアナ「そうですね。試合してもらうのが一番話題になると思うんですけど、そのへんは勘弁してくれないとは思うんですけど(苦笑) 全試合6〜7はやりたいなと思ってます」

――今の全日本勢がいないが?

▼木原リングアナ「全日本プロレス様うんぬんではなく、馬場さんにかかわった人を呼びたいなと思って。あとフリーの選手は結構、個人的に仲が良かったという感じなんですけど、今後まだ誰がどうなるかっていうのは特に。現状発表できるのはこの2試合だけでしたので、あとは今後の展開にご期待ください」