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1/25【新日本】退団会見における中邑の詳細コメント(写真あり)

 25日に都内新日本事務所で開かれた中邑真輔退団会見における、中邑、菅林直樹社長のコメントは以下の通り。


【中邑退団会見の模様】

▼菅林会長「リリースされた通り、今月いっぱいで中邑真輔選手が新日本プロレスを退団することになりました。大変残念なんですけど、次なる戦いのリングでも中邑真輔選手らしい戦いを続けていって欲しい。そう願っています。それは選手や社員、スタッフみんな同じ気持ちだと思います。頑張ってください」

▼中邑「ありがとうございます。今月残り2試合で新日本プロレスを退団させていただきます。ひじょうに大きな大きな決断でした。この決断を了承してくださり、かつ壮行試合等、ひじょうに新日本プロレスには感謝しております。2002年に入団して苦楽をともにし、ともに歩んできた菅林さんをはじめ社員の皆さん、選手、関係者の皆様。そしてファンの皆様には感謝しております。ありがとうございました。(※と頭を下げる) 今後は新たな刺激、環境、舞台…を求めて挑戦し続ける所存であります。改めまして、ありがとうございました。(※再び深々と頭を下げる)」

――新日本でやり尽くしたというか、マンネリのようなものがあっての決断?

▼中邑「退団を決意した理由は、ひとつだけの理由ではないです。年齢的なものも含めて、新日本プロレスで成長するうえで培ってきた価値観や自分の感情。そういうものを統合して“今しかない"と思ったうえでの決断です」

――退団を決意した時期は?

▼中邑「悩んでいたのは2年くらい前からですね。決意という形になると、昨年11月あたりでしょうか」

――決意にいたったポイントは?

▼中邑「2015年の新日本プロレスにおける自分の試合というのは、常に100%以上のものを求めて、今の中邑真輔を形成する上で自分にとっては特別だった人間とやりあえた…ことが大きいですね。1月4日の飯伏戦から12月の田口に至るまで」

――海外への挑戦が噂されているが、そうなると日本のプロレスとはあらゆる勝手が違う部分もあるが?

▼中邑「どういう状況下においても、そこに落とし込める“遊び"があるのであれば、いかに小さなスキマであっても、そこに全人格、全中邑真輔を投じていく。これまでもそうしてきたように、これからもそうするであろうと自分では思っています」

――ライバルだった棚橋に何か言葉をかけるなら?

▼中邑「…直接言います」

――改めて新日本での13年間はどういう時間?

▼中邑「自分でいうのもナンですが、こんなレスラーほかにいなかったな…と思いますね。デビューまでの経過、デビューしてからの数々の挑戦や。時代がガラっと変わっただけじゃないんでしょうが、すべてが自分にとっては“かけがえのないもの"だなと思いますね。当時は死に物狂いでひたすらやってたんですけど、今の新日本プロレスは何があっても、誰もがチャンスを自ら作り、かつ、つかめる舞台になりえてると思ってますね。あまり答えになってないですけど…」

――ICベルトについて?

▼中邑「ベルトに対しては返上という不本意な決着にはなってしまいましたが、新しい価値観を創造できたという部分では、自分だけではないですが、自分の誇りであるとは感じています」

――新日本での残り2試合はゆかりあるメンバーでの6人タッグとなるが?

▼中邑「年間100試合以上、2002年から約13年。誰もかれもが“ゆかり”というか…仲間、兄弟のように思っていますが、その中でも所沢、後楽園で戦う人間というのは、自分のプロレスラーとしての物語のうえでは重要な役割をしてきたメンツなので。リングに立ってみないと分かりませんが、いろんな感情が自分のなかに起こるんだろうなと思います。ひとつ寂しさもありますが、ひじょうに楽しみです」

※その後IWGPインターコンチネンタル王座を菅林会長に直接手渡して返上。菅林会長からねぎらいと激励の花束を受け取ると、感極まった表情で受け取り、深々と頭を下げる

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