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5/28【全日本】「あれがなかったら今の全日本はなかった」 ディファ有明こけら落とし興行の思い出と6・5最終興行への思い…京平レフェリー&木原リングアナ対談

 2000年にオープンしたディファ有明が2018年6月いっぱいで約18年の歴史に幕を閉じる。全日本では6月5日にプロレス最終興行を開催するが、2000年7月1日に同所のこけらおとし興行を行ったのも全日本だった。その時に参加し、今なお全日本で活躍している選手は渕正信のみで、スタッフでは和田京平レフェリー、木原文人リングアナウンサーの二人だけとなった。そこで京平レフェリー、木原リングアナにこけら落とし興行の思い出、最終興行へ向けた思いを語っていただいた。

【京平レフェリー&木原リングアナ対談】
――6・5ディファ有明最終興行を控えますが、お二人は2000年7月1日のこけら落とし興行に参加されています。選手、スタッフの大量離脱に見舞われた分裂騒動後、最初の興行でもありましたが、どんな心境で大会に臨んだか覚えていますか?

▼京平「心境? 意地だよ。本当はできなかったんだよ。ディファ有明ができた時点から三沢プロレスっていうのが仕組まれてたんだよね。それに対して全日本プロレスも意地でやったんだよ。本当は(団体が)なくなってやらなかったかもしれない。ノアの旗揚げの会場があの日のディファ有明だったんだよ。でもそうはさせないって残った連中がやろうってなってね。今の全日本プロレスがあるのも、あの日のディファ有明のおかげなんじゃないかな。そんな感じだよな?」

▼木原「そうですね。あの大会で川田(利明)さんと渕さんがシングルマッチ。あれをやったというのは、今も全日本がまだ残ってるひとつの要因ですね」

▼京平「だから、あそこであの二人がなかったら、全日本プロレスはもう今なかったんじゃない? 川田vs渕のシングルマッチというのが、どうってことないカードなのかもしれないけど、されど川田と渕の試合っていうのかな。そこはみる人がみれば、全日ファンならわかってくれるカードだったよね」

▼木原「(馬場)元子さんが社長になって一発目の興行ですから。さっき京平さんは意地とおっしゃったけど、僕らは無我夢中でやってましたね。その時はまだノアさんという名前はなかったけど、三沢プロレス側の人からしたら、彼らの方が逆に嫌だったんじゃないですか。結局、そのあと会社もあそこに入るわけで。京平さんがおっしゃったとおり、あそこ=三沢さんグループ。そこで全日本にやられたのは計算違いになったんだと思いますよ」

――では、全日本としては当初、あの大会をやるつもりではなかったということですか?

▼京平「興行的には入ってたんだけど、なくなるだろうって感覚で彼らはその旗揚げを自分らでやるかもと思ってたら、全日本にやられてしまったと。三沢サイドからするとえー?だろうね。そのえー?に対して我々はやらざるをえなかった。そのあとあんまりやってないでしょ、全日本プロレスは。ノアさんばかりでしょ。それで答えが出てるよ。今回も本当はノアさんがやるのが普通なのに、なぜか全日本がやるのがまた面白いよね」

――お二人の口からあったように、こけら落としのメインイベントが川田vs渕戦でしたが、お二人にあの一戦はどのように映りましたか?

▼京平「渕君がかわいそうだったね。かわいそうというか、逆にやりがいがあったんじゃないかな。胸真っ赤にして大変な試合だったと思うよ、渕君からすれば。老体にムチ打ってさ。でも当時まだ老体じゃないんだよな」

▼木原「そうですね。ひょうひょうとしてましたね。アバラか何か折ったんじゃないですかね。蹴りか何かで」

▼京平「今なら無理だと思うけど、結構激しかったよ。『何だ、まだやれるじゃん』って思ったもん。あれも意地だろうなぁ」

▼木原「まだスタン(・ハンセン)もいたし、スティーブ・ウイリアムスもいたし…」

▼京平「太陽ケアもいたしな。だから昔の全日本プロレスだよな。それはそれでいいんだけど、じゃあ今回のディファは?っていったら、ん?って首ひねるよね」

――メインに渕さんがいないのは残念ですね。

▼京平「だから、ん?ってなるよね」

▼木原「僕も最近、裏方が多いんであれですけど、メインは(リングコールを)やらせてもらいたいですね。渕さんと川田さんがメインですけど、こけら落としの第1試合は京平さんと僕でやってるはずなんで。ちょっとワガママ言って京平さんとのコンビでディファを締めくくりたいなと思いますね。その会場が18年ぐらいあって、1回目にやったスタッフと、最後にやるスタッフが一緒って意外とないですよね。僕もリングアナをやらせていただいて30年近くになりますけど、30年近くレフェリーとリングアナが同じでやってる団体ってないと思いますよ。だからどれだけできるかわかりませんが、誇りを持って残った意地といったらあれですけど、それを思い出して京平さんと頑張りたいなと思います。あとはノアさんの歴史であるんだけど、表舞台に立った馬場元子さんの歴史でもあるんですよね。馬場元子さんが社長になって一発目の大会で、馬場元子さんが亡くなった年にディファ有明がなくなるというのも、何か不思議ですね、京平さん?」

▼京平「最後、何かやるのかな? 何か考えてるのかな? 蛍の光でも流すのかな?」

――では、このお二人で始まったディファ有明がこのお二人で終わるということになる可能性が高いですね。

▼京平「それでいいんじゃないの。それはそれでまた歴史でいいんじゃない。めったにないよね」

▼木原「今までなくなってきた有名な会場、私もその最後の大会、仙台の宮城県スポーツセンターとか、札幌中島(体育センター)とかいろいろありますけど、出来た時はみなさんまだ子供ですからね。だから意外とこけら落としと最後をやるのはありそうで全然ないんじゃないですかね」

▼京平「仙台も終わりはやってるけど、始まりは知らないもんね。そう考えるとディファ有明って凄いなって」

――どんな心境で当日に臨みますか?

▼京平「どうなんだろうね。でも思い出が甦るんじゃないの。最初の頃を思い出すんじゃないかな」

▼木原「2階のバルコニーで仲田龍さんにみててほしかったですけどね。我々の感覚としては。みに来てくれるんじゃないですか。仲良く(ジャイアント)馬場さんと元子さんと仲田龍さんと三沢(光晴)さんが」

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