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4/26【ドラディション】平成最後の金曜8時に猪木と藤波がリングで邂逅 闘魂注入&「ダー!」 坂口来場で黄金コンビ久々の揃い踏み

『DRADITION 2019 NEVER ENDING DREAM TOUR IN TOKYO』東京・後楽園ホール(2019年4月26日)
平成最後の金曜8時 DRADITION 闘魂LIVE=アントニオ猪木×藤波辰爾

 平成最後の金曜8時に猪木と藤波がリングで邂逅。いきなり猪木が藤波に闘魂注入を果たすと、サプライズで坂口征二もリングに入り、黄金コンビが久々に揃い踏み。最後は観客とともに「1、2、3、ダー!」の雄叫びをあげ、集まったオールドファンを喜ばせた。

 猪木と藤波が「平成最後の金曜8時 DRADION 闘魂LIVE」と題されたトークショーを行った。これまで2人が揃ってリング上に並び立つことはあったが、あくまでも猪木はあいさつや「ダー!」の雄叫びを上げるにとどまっていた。しかし、藤波は「猪木さんが一番似合うリング上で皆さんと一緒に時間を共有したい」という思いから1対1のトークを企画。新日本プロレスの黄金期である70年代〜80年代に『ワールドプロレスリング』が放送されていた“金曜8時"に合わせて、師弟がリング上で向かい合った。

 2人の関係は50年近く続いている。藤波は猪木に憧れて1970年に日本プロレスに入門し、翌71年5月にデビュー。同年12月に猪木が日本プロレスを除名されると、行動を共にして退団。1972年3月の新日本旗揚げ戦では第1試合に出場した。その後、ジュニアヘビー級の第一人者として活躍した藤波は81年にヘビー級転向。暴動騒ぎや選手の大量離脱などで新日本が冬の時代を迎えると、88年4月には沖縄で自ら髪の毛をハサミで切って決意を見せ、猪木にメイン禅譲を迫る飛龍革命をぶち上げた。

 猪木との戦いで特に名勝負と呼ばれるのは88年8月8日の横浜文化体育館におけるIWGPヘビー級戦。猪木負けたら引退もささやかれた状況での一戦だった。師匠・猪木の挑戦を受け止めた藤波は60分時間切れでドロー防衛。猪木は自ら藤波の腰にベルトを巻いて愛弟子を称えた。藤波が越中に、猪木が長州に肩車された場面はあまりも有名だ。

 ゴングが打ち鳴らされると、スーツ姿の藤波が登場。続いて、猪木が姿を現すと後楽園ホールは「猪木」コールに包まれる。まずはガッチリと握手を交わすと、いきなり猪木があいさつ代わりに闘魂ビンタをお見舞い。機先を制された藤波はその場に倒れ込んだ。

 時間無制限の"メインイベント"として選手コールを受けると、リング上は2人だけに。まずは藤波は「猪木会長にリングに上がっていただき、感無量です。感無量のビンタをいただきました」と頭を下げたが、猪木は「元気ですか! 元気があればなんでもできる。元気があれば、なんだろう、今日は? バカヤロー!」といきなり絶叫。「普段できない話をしましょう。世の中はつまらないですね。出たとこ勝負のほうが面白いでしょ」と早くも段取りを無視し、「今日は昔の女を全部揃えるのかなって。女性の話と政治の話は御法度ですから」とアントンジョークで自分のペースに持ち込んだ。

 トークテーマは8・8師弟対決となる予定だったが、猪木はそれもかき乱す。藤波が沖縄で髪の毛を切って決意を見せた時のことを問われても、「そんな昔のことは忘れちゃったよ」と即答し、その場所についても「北海道でね」と言い張った。

 そこから話題は二転三転したが、やっと師弟対決にテーマが戻ると、「この間、テレビを見て思い出しました。8・8ですよね。"ハハオシャレ"って」とまたまたアントンジョークで笑いを誘った猪木だったが、「確か俺がヒザを痛めて手術した頃だったかな。その頃は限界が来ている状況もあったし、早く次の時代にっていう思いもあったんで」と当時の状況を明かす。そして、「どうなのかね、いい試合かどうかって自分で言うのはおかしいからね。見た人があれは『いい試合でした』っていうものだから」とつぶやくと、客席からは「いい試合だった!」の声が飛び、大きな拍手が巻き起こった。

 当時の猪木は45歳で、藤波は34歳。年齢差やコンディションの違いは歴然としていた。藤波は会場の異常な暑さを振り返り、「僕はずっと会長の付き人をやってましたんで、凄さはわかってたんですけど、あの時は最後、身震いして怖かったです。どこからそのエネルギーやスタミナが来るのかなって」と疑問をぶつける。猪木は「相手が憎らしいからだよ」とニヤリ。藤波が「僕は汗をかく方なんですけど出過ぎちゃって。変な話なんですけど、1日半から2日ぐらい、オシッコが出なかった。それぐらい出し切っちゃったので」と試合後のダメージを明かしたが、猪木は「あんまり汗かかなかったかな」と断言して場内を沸かした。

 「昔は水飲んじゃいけない。今は水飲めって。時代が変わればね。どっちがいいのかは別として、ただ、スタミナだけはね。朝、よく走ってましたから」と猪木。藤波も一緒に走った思い出を語ったが、猪木は「なんてことはない。糖尿病だったから(笑)」と一笑に付した。

 その後も昔話に花が咲いたが、藤波は「忘れられない人がいるんです。ぜひこの方と猪木会長が並んだところを目に焼き付けたかったんですよ」と現在は新日本の相談役を務める坂口征二をサプライズで呼び込んだ。坂口が登場すると、藤波、猪木とガッチリ握手。黄金コンビの再会に場内は大歓声に包まれた。

 2人がリング上で向かい合う場面を見て、藤波は「この姿をもう1回、ファンの皆さんと一緒に僕自身が見たかったんです」と喜びをあらわにすると、新日本旗揚げメンバーで藤波のデビュー戦の相手を務めた北沢幹之をリングに呼び込む。そして、出場選手たちもリングに集結し、最後は猪木の「ダー!」で締めることに。

 観客も総立ちになると、猪木は「平成も終わりですからね。なんだか次のあれはピンと来ないんで。令和ですかね? そんなのはどうでもいいか」と笑い飛ばし、「1つ、健康でありますように。1つ大きな夢を持ってもらって。1つだけ余分なんですけど、選挙に出てくれと言うんですよ。今、選挙事務所を一生懸命探したんですけど、いいところが見つからない。で、北朝鮮に頼んで、衛星で選挙事務所を作ってもらおうと思って。馬鹿な話でごめんなさい」とアントンジョークでまたまた場内を沸かし、藤波、坂口らとともに「1、2、3、ダー!」と拳を突き上げた。

 猪木たちを見送った藤波がリングに残ると、大「ドラゴン」コールに包まれた。藤波は「本日は最後までのご観戦ありがとうございました。そして平成最後、新しい元号を迎えるにあたって、僕の夢に付き合っていただき、本当にありがとうございました」と感謝すると、「今回のタイトル通りに『ネバーエンディングドリームツアー』という感じで、僕の夢は続くと。もう少しプロレスでいろんな夢を見てみたいと思いますので、よろしくお願いします」とさらなる夢の実現を見据え、平成最後となったドラディションの興行はフィナーレとなった。

【試合後の藤波】
――久々に師匠とリング上で再会したが?

▼藤波「今日は本当にライガーに続いて、猪木会長までね。久しぶりに後楽園に足を運んでくれて。本当に自分の夢でもあったしね。今回のタイトル(ネバーエンディングドリームツアー)は自分が描いたものが実際に実現できればと。自分が夢を続けていけるようにという思いだったんで、そういう部分では本当に感謝していますね」

――坂口さんの登場は直前に決まった?

▼藤波「これは最後まで誰にも言わなかった。僕の中でだったんですよ。去年かな。会長と3人で食事したんですよ。あの時の会長と坂口さんが本当にいい顔をしたんですよ。これは僕が1人で楽しんでいる場合ではないなと。これはプロレスファン全員に猪木会長と坂口会長がもう1回並び立つ姿を見てもらいたかったんですよ。平成最後ということで、令和という新しい元号を迎えるにあたって、いろんな思い出を残していこうかなって。(坂口登場を)会長に言ってなかったから。でも、2人がああやって並び立つ姿を見るといいね。新日本プロレスの旗揚げした頃を思い出した。あの京王プラザでね。2人が並んで握手してね。俺は若手だったけど、あの2人が立った時、これで新日本プロレスは持ちこたえてられるなというか、やっていけるなっていうのがあって。2人の姿を見て、新日本プロレスが自信をもったというか。そこからですよ、スタートは」

――MCの流智美さんが8・8の話を振っても、猪木さんはあまり話さなかった

▼藤波「どこかでファンがジョークでリング上にハサミを投げ入れたらどうしようかと思ったよ。思わずそのハサミを取って、俺、切らなきゃいけなくなっちゃうかなって(笑)」

――ハサミのことは記憶にあったような感じがした

▼藤波「全部記憶にありましたね」

――猪木さんのビンタはどんな味だった?

▼藤波「嬉しさもあり、ひっくり返りましたけどね。懐かしいね。まだビンタをこれからも続けてほしいですね。今日本当は最後にみんなビンタをやればよかったな。選手がみんな上がってきたんだからね」

――イベント全体について猪木さんや坂口さんとはバックステージで話した?

▼藤波「バックステージで会ってないもん。俺も走り回ってたから。でもまあ、選手はリング上で顔合わさればツーカーの仲だしね。我々はもうすぐ50年になるけど、自分の親よりも猪木会長といるほうが長くなっちゃったからね」

――段取りや打ち合わせもあったと思うが?

▼流「ほぼ狂わされました(笑) 8・8というのに猪木さんが乗ってこなかったのが非常に…。わざと狂わせたような気もしました」

▼藤波「段取り通りいくのを嫌うからね」

▼流「逆にアフリカの話でガーッと乗ってきてくれたのは嬉しかったです」

――次回の興行については?

▼藤波「うちは4月と10月しかやりませんので、次は10月です。またお楽しみに。また僕の中では夢の続きを見させてもらおうかなと。ファンとともにね」

――試合ではライガー選手が参戦したが?

▼藤波「ライガーが上がってくれてね。いろんな状況の中で、凄い勇気がいったと思いますよ。その中で、新日本がまた気持ちよく送り出してくれたというのがあって。次に繋がるいい流れが新日本とまた。俺にとって古巣ですし、親しんだところもあるから、違ったまた夢の第2部を目指そうかなって」

――ライガー選手が試合後にヤングライオンとLEONA選手と戦わせる橋渡しをしたいと話していたが?

▼藤波「ほとんど(LEONAも)足も完治しているので。足が治り次第ね」

プロ格 情報局