【訃報】“超人”ハルク・ホーガンさんが71歳で死去 WWE躍進の立役者、日本では「イチバン!」旋風 2025/7/25
WWEやアメリカの複数メディアが伝えたところによると、ハルク・ホーガン(本名:テリー・ジーン・ボレア)さんが現地時間24日に亡くなった。71歳だった。 現地報道によれば、フロリダ州のクリアウォーター警察署と消防署が同日午前9時51分ごろに心停止の通報を受け、ホーガンさんをモートン・プラント病院に搬送したが、そこで死亡が確認されたという。 WWEはホール・オブ・フェイマーでもあるホーガンさんの死去に接して「ポップカルチャーで最も認知度の高い人物の一人であるホーガンさんは、1980年代にWWEが世界的な認知を得るのに貢献しました。WWEは、ホーガンの家族、友人、ファンに心からの哀悼の意を表します」との声明を発表した。 ホーガンさんは1953年8月11日、フロリダ州タンパ出身。ミュージシャンとして活動後、ヒロ・マツダのコーチを受けて77年にプロレスラーとしてデビュー。82年のシルベスター・スタローン主演映画『ロッキー3』への出演で一躍、有名となり、84年1月にはWWF(現・WWE)世界ヘビー級王者に君臨。以来、アメリカマット界を代表するトップレスラーとなり、全米侵攻中だったWWF躍進の立役者となった。 Tシャツ破りパフォーマンス、試合後のポージングが大人気を博し、9万人以上の大観衆を動員した87年3月の『レッスルマニア3』ではアンドレ・ザ・ジャイアントに勝利。今なお名勝負として語り草となっている。94年からWCWに参戦。96年に衝撃のヒール転向を果たし、nWoブームを巻き起こした。その後、2002年にWWEに復帰し、同年の『レッスルマニア18』ではザ・ロックと歴史に残る名勝負を繰り広げた。2005年にはWWE殿堂入りを果たしている。 日本では80年5月の初来日以来、新日本の常連として活躍。リングネームの由来でもある『超人ハルク』になぞらえて“超人"と称された。代名詞のアックスボンバーを武器に83年6月の第1回IWGPリーグ戦でアントニオ猪木をKOして優勝を飾り、トップ外国人に君臨。「イチバン!」の絶叫も人気を博し、一大旋風を巻き起こした。 新日本とWWFの業務提携解消のため、日本マットから離れたが、91年にSWSに参戦。93年には再び新日本に参戦し、グレート・ムタとの対戦、タッグ結成が実現している。日本の団体への参戦は2003年10月の新日本・東京ドーム大会(vs蝶野正洋)が最後で、2014年7月のWWE日本公演が最後の来日となった。
WWEやアメリカの複数メディアが伝えたところによると、ハルク・ホーガン(本名:テリー・ジーン・ボレア)さんが現地時間24日に亡くなった。71歳だった。
現地報道によれば、フロリダ州のクリアウォーター警察署と消防署が同日午前9時51分ごろに心停止の通報を受け、ホーガンさんをモートン・プラント病院に搬送したが、そこで死亡が確認されたという。
WWEはホール・オブ・フェイマーでもあるホーガンさんの死去に接して「ポップカルチャーで最も認知度の高い人物の一人であるホーガンさんは、1980年代にWWEが世界的な認知を得るのに貢献しました。WWEは、ホーガンの家族、友人、ファンに心からの哀悼の意を表します」との声明を発表した。
ホーガンさんは1953年8月11日、フロリダ州タンパ出身。ミュージシャンとして活動後、ヒロ・マツダのコーチを受けて77年にプロレスラーとしてデビュー。82年のシルベスター・スタローン主演映画『ロッキー3』への出演で一躍、有名となり、84年1月にはWWF(現・WWE)世界ヘビー級王者に君臨。以来、アメリカマット界を代表するトップレスラーとなり、全米侵攻中だったWWF躍進の立役者となった。
Tシャツ破りパフォーマンス、試合後のポージングが大人気を博し、9万人以上の大観衆を動員した87年3月の『レッスルマニア3』ではアンドレ・ザ・ジャイアントに勝利。今なお名勝負として語り草となっている。94年からWCWに参戦。96年に衝撃のヒール転向を果たし、nWoブームを巻き起こした。その後、2002年にWWEに復帰し、同年の『レッスルマニア18』ではザ・ロックと歴史に残る名勝負を繰り広げた。2005年にはWWE殿堂入りを果たしている。
日本では80年5月の初来日以来、新日本の常連として活躍。リングネームの由来でもある『超人ハルク』になぞらえて“超人"と称された。代名詞のアックスボンバーを武器に83年6月の第1回IWGPリーグ戦でアントニオ猪木をKOして優勝を飾り、トップ外国人に君臨。「イチバン!」の絶叫も人気を博し、一大旋風を巻き起こした。
新日本とWWFの業務提携解消のため、日本マットから離れたが、91年にSWSに参戦。93年には再び新日本に参戦し、グレート・ムタとの対戦、タッグ結成が実現している。日本の団体への参戦は2003年10月の新日本・東京ドーム大会(vs蝶野正洋)が最後で、2014年7月のWWE日本公演が最後の来日となった。