
プロレス通信簿
カッキ―・エイド~垣原賢人特集~
「垣原は、他と違う輝きを持っていた。彼がいたからこそ、素晴らしい戦いが出来たんだよ」。
今年は95年の新日本vsUインターの抗争から20年。当時を振り返っての元・新日本プロレスのフロントの述懐である。
今回の本欄は特別編として、現在、悪性リンパ腫からの快気を目指し、18日にその応援興行が行われる元UWF戦士、“カッキ―"こと、垣原賢人について特集したい。
プロレスに憧れたのは、初代モデルのIWGPジュニア王座ベルトを争った、高田延彦と越中詩郎の抗争から。第二次UWF入りを目指して上京し、道場で入門を直訴すると、食事中の藤原喜明に言われた。
「この煮えたぎったハンペンを、背中に載せて耐え切れたら合格」。
火傷を負ったが、耐えきってみせた。ところが、「大丈夫か?うおぉ!あちいっ!」とハンペンを取ってくれた藤原が言うには、「今度入門テストがあるから、その時また来て」。入門テストで再訪すると、誰も自分のことなど覚えてない。だが、腹筋をすると、Tシャツ越しに背中がハンペン形の血で染まった。「お前は、あの時の!」(宮戸)。こうして垣原のプロレスラー生活が始まった。
強さを追い求めた日々。UWFの3文字も捨てられなかった。田村潔司とバイクで箱乗りし、UWFインターの事務所物件を探した毎日。安生洋二がヒクソン・グレイシーに負けて失意のフロントには「僕たちがいますから!」と勇気付けた。
インターが解散し、全日本入り。続くNOAHの旗揚げでは、最強を希求するファイトが当時の対戦相手と合わず、退団。だが、小橋建太は「何でも悩みを相談してくれ」と持ちかけ、三沢光晴からは、自身の引退時に花が届いた。「後ろ足で砂をかけて行った自分なのに……」と垣原は感激しながら述懐していたが、それは同時に、彼自身の純粋な心持ちや性格がそうさせたのではないか。
今回の応援興行に団体の枠を超え多数の選手が集まることが、その証明ではないだろうか。
引退後、クワガタ虫同士を戦わせる“クワレス"興行を興し、子供たちに大人気の垣原。「子供の頃に沢山あった、自然の大切さ。それを訴えて行きたいんですよね」。自らを襲った悪性リンパ腫との戦いにも「自分が勝って、同じ病気に苦しむ人の希望になりたい」と熱い。彼なら、それが必ず出来るだろう。
ベストバウトは数あれど、個人的には今回の興行にも参加する金本浩二との引退試合を挙げたい。(06年5月28日)5分1本勝負だったが、技術、スピードで、当時のIWGPジュニア王者、金本を圧倒。金本は、「引退なんてもったいない。まだまだ出来るのに……」と言い、試合後、サプライズで用意したベルトを、垣原に巻いてやった。
それは、垣原が少年時代憧れた、初代モデルのIWGPジュニアのベルトだった。
プロレスライター 鳥浜 英佐