
プロレス通信簿
「9月のプロレス名言集」(20世紀編)
9月第3週の本欄は、第1週に続き、同月に放たれた「プロレス名言」(20世紀編)をご紹介。プロレス史を形作って来た名句と、その裏にあるドラマに、耳を傾けて欲しい。
先ず、9月限定どころか、プロレス史上最大の迷言と言っていいのが、81年にラッシャー木村が新日本プロレスに殴り込んだ時のリング上の第一声。「え~、こんばんは」(23日)。活動停止となった国際プロレスからの参戦ということで、殺伐とした雰囲気だった場内が、これで一気に失笑の渦に。その木村が後にマイク・パフォーマンスを売りにするわけだがら、世の中わからない。なお、「皆さんこんばんは、ラッシャー木村です」という記載もよく見受けられるが、これはこの顛末を大変気に入っていたビートたけしによる誤用。ラジオ番組でさんざんネタにしたため、こちらの方が有名になってしまった。
9月と言えば、90年代の新日本プロレスは横浜アリーナ大会を開くのが定例化していたが、その1回目が90年のアントニオ猪木デビュー30周年記念大会(30日)。セレモニーで猪木は、「1つ1つの闘いが私のことばです」とマイク。猪木と同日デビューのジャイアント馬場も当日、後楽園ホールで30周年大会を行い、「何度かやめようと思ったこともあったが、続けてきてよかった」。過激な闘いを標榜する猪木と、無事是名馬さながらの馬場の違いもよく出ていた。
4年の同月には、マット界が大激震。長州力ら5名以上が当時の新日本プロレスから突然脱退(21日)。真面目な坂口征二副社長(*当時)が「5匹のタヌキにダマされた」と吐き捨てたのが印象に残る。一方で、HAPPYな出来事も。ジャンボ鶴田の結婚会見では、「浮気したら家に入れません!」という奥さんに対し、「やっと人生のチャンピオンベルトを獲ったと思ったら、これから大変な防衛戦が……」(鶴田)。場内は温かい笑いに包まれたのだった。(23日)
89年より、9月の上旬(稀に8月の下旬)に日本武道館大会を開催して来たのが平成全日本プロレス。91年にはその鶴田が三沢に、フェイスロックで生涯唯一のギブアップ負け(4日)。「信じられない」という鶴田の発言を受け、「信じられないなら、ビデオを見ろ」と三沢はクールに言い放ったが、どこかユーモラスなやり取りだった。
の三沢は鶴田の跡を受け、全日本のエースとなり、99年には社長として「5大シングル戦」を日本武道館で企画(4日)。ところがベイダーと戦う予定だった川田が怪我で欠場。三沢は責任をとり、自身のカードである高山善廣戦の他に、川田の代役としてベイダーとも戦うこととなってしまった。どう見ても無謀な2連戦。三沢は高山には辛勝したが、直後のベイダー戦では10分持たずに完敗した。試合後、ベイダーはこんな風に語った。
「日本のファンよ、今夜の三沢に大きな拍手を送ってやってくれ。誰しもスーパーマンにはなれないんだよ。うん、俺もそうだよ」
三沢は、理想のプロレスを求め、翌年、NOAHを旗揚げ。参戦する外人の名に、ベイダーの4文字もあった。
プロレスライター 鳥浜 英佐