
プロレス通信簿
天龍源一郎と好敵手たち~NOAH編
いよいよ1ヶ月半後の11月15日に引退する天龍源一郎。そのプロレスラー現役生活、なんと38年!当欄でもカウントダウンさながら、「天龍源一郎とその好敵手たち」として、時系列を遡る形で綴ってみたい。
先ずは05年に主戦場としたNOAH。そもそも、天龍が真のブレイクを果たしたのは、87年に反体制に回った“天龍革命"から。「ナマでバッコンバッコンやりあっている。(中略)あれこそ本当の“過激なプロレス"だったよ」(前田日明・「真格闘技伝説)より)と評価される同革命だが、その発端は2代目タイガーマスク、つまり、三沢光晴との一騎打ちから。(87年6月1日)最後はウルトラタイガードロップ」(空中前方回転体当たり)を受け止めた天龍が、そのままパワーボムで落として決めたこの2人の激闘を、当時ジャイアント馬場が大絶賛。天龍も、「馬場さんだけでもわかってくれるなら」と革命を興す気構えが出来たのである。
とはいえ、12歳差ながら、よく飲みに行った2人。「“銀座からプロレスラーが消えた"と言われた80年代中盤に、俺と三沢だけはよく銀座で遊んだ」と述懐するところが天龍らしい。「三沢はいったん寝て起きるタイプだから、必然的に朝までコースだった」(天龍)。酒席もたけなわな際、正体不明とされていた2代目タイガーマスクを、「実はここにいる彼なんだよ」とホステスらに明かすのが無上の楽しみだったとか。もっとも、信じない人々もおり、うち1人は女優だった三沢の後の奥さん。こちらは控室に招待され、虎の仮面がロープを通して干されてるのを見て、ようやく信じたとか。
90年に天龍が全日本を退団する際、「一緒に連れて行って欲しかった」と大学での講演会で語った三沢。兄貴分として慕った天龍と再会したのは99年2月の豆まきイベント。その際、真っ先に「天龍さんにコーヒーを」を付け人を走らせた姿に、天龍は感銘を受ける。
そして05年、他ならぬ三沢の誘いから、遂に05年1月8日、NOAHに初参戦(三沢&力皇vs天龍&越中)。「(三沢は、)「テクニシャンというより、パワーファイターになっていた」(天龍)というが、その夜、天龍の経営する寿司屋に伺うと、極めて珍しく、天龍が父親と向かい合って酒を飲んでいた姿が忘れられない。当時、NOAHは天龍に残された未開のリングだった。一種の万感だったのだろうか。
以降、NOAHでも名勝負を展開した天龍。ジャンボ鶴田のテーマで入場して来た森嶋を一蹴した、天龍&鈴木みのるvs秋山&森嶋(3月5日)、小橋のチョップで「爪がひっかかって」(天龍)胸板から流血した天龍&秋山vs小橋&潮崎(4月24日)等々。
だが、待望の三沢との一騎打ち(11月5日)について天龍は、「お互い気負い過ぎて、一番後悔している試合」と語る。2代目タイガー時代と比べ、互いにガンガンとやりあえなかったのが心残りとか。全力をかけたパワーボムも持ち上げられず、自分の衰えを感じ、ショックだったという。とはいえ、後に写真を見て、その理由がわかったとか。
三沢の足を自分の足で踏みつけたまま、パワーボムをかけていたのだった。
プロレスライター 鳥浜 英佐