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プロレス通信簿

猪木も自信を持っていた「天龍vs〇〇」!シングルで勝ってない第3世代って?天龍引退カウントダウン・新日本21世紀編!

天龍源一郎と好敵手たち~新日本プロレス(21世紀)編

「中邑は、相手に臆することがない、常に前向きな男だね」(天龍)

先週から始まった天龍引退カウントダウン企画「天龍源一郎とその好敵手たち」。今週はさらに時を遡り、04年を中心に当たった新日本の第3、及び新世代(当時)を取り上げたい。

先ず天龍が、「満足のいく相手だった」と語るのが中邑真輔。04年8月10日に一騎打ちしているが、時の中邑は、既にエース扱い。その中邑に対して天龍は、フライングネックブリーカードロップ、卍固めと、かつての馬場や猪木の得意技で対抗。さらには自ら下がって相手をいなす、リック・フレアー殺法まで。「大事な場面で、お前、フォークボールを投げられるのか?と試してみた」と天龍は後に語る。惜敗した中邑は、「あれが昭和プロレスでしょ。でも、凄く効いたし、奥が深い」と肯定。対して天龍は、「普通なら俺に合わせるのに、かたくなに自分のスタイルを貫いていた。だから俺も光れたんだよ」とその気骨を気に入った様子だった。

逆に当時、低評価だったのが棚橋。04年2月15日と8月15日にシングルを2度行い1勝1敗だったが、当時の棚橋は、耐えながら相手の隙を狙って勝負を決めるスタイル。8月は棚橋が電光石火なる首固めで勝利したが、「2月の試合とパターンが一緒じゃん。新日本を背負う男がそれでいいの?」と辛辣だった。しかし、筆者が今春お会いしてお話を聞いたところ、「(棚橋は)プロレスをわかり易いものに変えたよね。それが支持されてるなら、それでいいんだよ」と高評価を下していた。天龍の引退理由の一つは、「プロレスが再び盛り上がって来たから」であり、その要素に棚橋がいるのは間違いないだろう。

「永田はタッグだと良さが死ぬタイプ」(天龍)

当時、いわゆる第3世代ともふんだんに対戦した天龍。シングルで負けた永田には「基本的にシングルプレーヤー」とし、天山は、「意外とチョップが上手い」と称賛。一方で、自らとの一騎打ちをフィッシャーマンズ・ホールドで決めた中西(04年1月4日)には、「力と力の勝負なのに、何だよあのフィニッシュは」と白けムード。こちらも唯一のシングルで負けている吉江豊(04年8月9日)に、「自分より体の大きな選手にかけるプロレス技って、それほどないんだよね……」とボヤくのも天龍らしかった。

「柴田は、潰しがいのある奴だった」(天龍)

そして今世紀の新日本の一番の天龍のライバルと言えば、柴田勝頼だったろう。04年8月13日の対戦では、睨み合いから天龍がグーパンチを炸裂。ところが柴田もそれにパンチを合わせ、クロスカウンターに。「パンチが来るとわかったんだろう。勘のいい奴」と舌を巻かせた。同年10月9日のシングル戦では天龍が柴田の頭を、ビール瓶がこなごなになるほど一撃し、反則負け。ところが試合後の柴田は、「気持ちいいじゃねえか!」。再戦となった11月13日。この日の大阪ドーム大会は、猪木の強権発動で次々にカードが変更した大会だったが、天龍vs柴田は変わらず。「猪木さんも、俺たちの試合には、自信があるってことじゃないの?」とニヤリと笑う天龍が印象的だった。

そして今年の9月2日、天龍と初めてタッグを組んだ柴田は、自ら勝ち名乗り。天龍の入場曲「サンダーストーム」が昔からお気に入りだったが、最後は勝利で自分のテーマ曲が流れたことに、「それもひとつの恩返しだと思います」「今日の一番の敵は、天龍さんでした」と、らしい惜別の言葉を送った。対して、「俺は柴田君ほどひねくれてない」と笑顔で返した天龍だった。

プロレスライター 鳥浜 英佐