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プロレス通信簿

川田と小川良成の、天龍への不満?阿修羅原の引退夜の一言。天龍引退カウントダウン・天龍同盟編!

天龍源一郎と好敵手たち~天龍同盟編

「給料の何倍もの小遣いをくれましたよ」(小川)

天龍引退カウントダウン企画。最後の5週目は、ズバリ、小川良成、川田利明、冬木弘道、阿修羅原の「天龍同盟」編。同志でもあり、ライバルでもある、熱い絆で結ばれた5人だった。

もともと天龍と阿修羅原が合流することで87年6月より始まった「天龍同盟」。最年少の小川は、当時から天龍の付け人だった(正式な同盟入りは同年10月)。「一緒に飯食いに行くと、『これ食べろ』『あれ食べろ』って、僕が小さいから、気遣ってくれて」。だが、小川のデビュー時にはその気遣いがアダに?天龍自らのデザインでコスチュームを作ってくれたのだが、なんと黒と黄色の縦縞という派手派手ロングタイツだったのだ!「『若い奴は目立たなきゃ』って言うんですけど、マジかよと(苦笑)」。NOAHに移ってから、天龍の経営していた寿司屋にご祝儀を持って参上した小川。「天龍さんが後から、『小川はひねくれ者だったけど、いい青年になったよ』って。天龍さんにそう思われてたということは、俺、よっぽどひねくれてたんですね(笑)」

同じく、冬木と『フットルース』なるタッグチームを組まされた(?)川田も被害者。同様にド派手なタイツをはかされ、客席にバンダナを投げるパフォーマンスも。「バンダナは自腹だった」と暗澹と振り返るところが川田らしい。天龍と言えば、酒席の凄さで知られるが、川田も急性アルコール中毒になり、自分で救急車を呼んだ過去が。因みにあの北尾光司も天龍に酒で潰され、トイレで失神し救急車で運ばれたが、天龍が言うには、「北尾に比べて川田は偉い。自分で救急車を呼んだんだから」とのことである……。

冬木の引退試合には、小川良成による車の送迎で駆けつけた天龍

冬木は、天龍にとって初めての付け人だった。天龍とて最初から人気があったわけではない。それだけに、「俺とあの人にしかわからない歴史と絆がある」(冬木)。後年、FMWのエース格となった冬木は、団体に天龍を呼んで一騎打ちしたが惜敗。(01年5月)悔しがる冬木に天龍はマイクで、「勝ったとか負けたとか、俺はそういうのはもういいよ」。それは他団体を預かるまで逞しくなった冬木へのエールと見たが、どうだろうか。

03年5月にガンで永眠した冬木。亡くなる数日前、天龍が見舞いに訪れ、病床の冬木を抱きしめた。そして帰ろうとすると、「送りますよ!」(冬木)。そう言ってベッドから必死に立ち上がろうとしたという。血よりも濃き、師弟の絆ある2人だった。

ラリアット11発、バックドロップ6発、パワーボム3発に沈んだ原

そして無二の相棒、阿修羅原。「真っ白に燃え尽きたい」と天龍と組んだ原だが、天龍を救おうと、ハンセンのラリアットの楯になったのも、1度や2度ではない。頭が割け、骨が見える状態でも、「さあ、今日もいっちょ行くかね」。間違いなく、天龍の成功は原なくしてはありえなかった。「源ちゃんが男になってくれたから、俺は本望だ」と後年、原は語ったが、3歳年下の天龍を親分として立てた原こそ、真の男ではなかったか。

実は引退後も、複数の団体から復帰オファーを受けていた原。だが、「源ちゃんを裏切れない」と固辞。その引退試合は意外にもバトルロイヤル(94年10月)。だが、最後に残ったのは天龍と原。そして凄絶な天龍の攻めを受け切り、最後は原が3カウント負け。その夜、サインを求められた原は、横にこう書き添えた。「ありがとう」。間違いなく、真っ白に燃え尽きた、原のプロレス人生だった。

プロレスライター 鳥浜 英佐

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