
プロレス通信簿
天龍源一郎引退カウントダウン~天龍源一郎名言集
いよいよ11月15日に迫って来た天龍源一郎引退試合。そこまで2週を残す今回の当欄では、その名言を振り返ってみたい。
初期の名言として知られるのが、シングル王座(UNヘビー級王座)を初戴冠した時の、「俺は体を痛めて光っているホタルだよ。源氏ボタルのように、どれだけ光ることが出来るか。これからだよ」(84年2月23日)。最後まで受け中心のスタイルを貫いた天龍のプロレス観がにじむ。宿敵・ジャンボ鶴田に勝利し、三冠王座を初奪取した際の、「まだまだこれからです!」(89年6月5日)には、その大志をうかがわせよう。92年10月23日には、それまで連敗を喫していた反選手会同盟(越中、木村健吾他・新日本プロレス)に初勝利。「崖っぷちの戦いでしたが?」と振るアナウンサーに、「『崖っぷち』?そりゃ未練のある奴が言う言葉だよ。俺は『毎日がメモリアルデーだ』って(周囲に)言ったんだ」とテレビ・インタビューで答える天龍に、痺れたファンも多かろう。
大御所として引退する天龍だが、プロレス・デビュー当時は、前歴の力士の色を消そうとして、もがき苦しんでいた。だが、相撲で得た打たれ強さや突っ張りを活かす方向に気付き、頭角を現して行く。そんな過去を経て93年、アルバイト情報誌「an」で語った読者へのエールは、「(個性を)直すより、伸ばせ」。全ての悩める若者に通じる金言と言えまいか。
懐の深い天龍だけに、他の選手評にも名句が。「(スタン・)ハンセンにプロレスの凄さ、(ブルーザー・)ブロディにプロレスラーの凄さを教わった」(88年4月22日)や、多くのメディアで語って来た「武藤(敬司)は上手くて、三沢(光晴)は上手」などが有名だが、後輩に向けた言葉としては、89年、ハワイに来ても練習ばかりしている小橋建太を笑うレスラーたちに言った「「お前ら、将来コイツ(小橋)に飯食わしてもらうハメになるぞ」が白眉か。先週も触れた、盟友・阿修羅原の引退試合で駆け付けた家族に送った、「阿修羅を長い間、お借りしました。お返しします」も忘れ難い。
いわゆる反骨心の塊だった天龍だけに、他団体を意識した名文句も。前田日明率いる第二次UWFが東京ドーム大会を成功させた同じ日、ジャイアント馬場をフォールし語った「この1勝は、東京ドームより重い」(89年11月29日)。専門マスコミが多数の団体をそのペンの権力(当時)で集めて開催した東京ドーム大会に不参加を表明した際の「俺は、金では動かない」。そしてその裏で後楽園ホール大会を行った時の、「俺はプロレス界のかませ犬にはならない」(95年4月2日)等々。
そんな天龍も、00年代には、いわゆるインディ勢と絡むことが多くなった。個人的な話になるが、筆者がそれに触れ、「(インディ勢を相手にすることに)寂しく思う時がある」と(酒席とはいえ)思うところをぶつけた際の、天龍さんの返答が忘れられない。「お前な。俺がウンと言うことで、丸く収まることが、世の中には沢山あるんだよ」。「天龍同盟十五年闘争」(日本スポーツ社)のインタビューで語った、「個人の欲なんてちっぽけなもの」という言葉も併せて記し、最後は、自らの団体、WARの最終興行(06年7月27日)でファンに向けたマイクで締めたい。
「これからは、皆さんの頑張る姿を、僕に見せて欲しい」。
ミスター・プロレス引退まであとわずか。心してその日を迎えよう。
プロレスライター 鳥浜 英佐