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プロレス通信簿

意外なプロポーズの理由!記者に対して見せた、突然の涙……。天龍引退カウントダウン・家族編

天龍源一郎引退カウントダウン~天龍源一郎と、その家族。

「娘は、100点満点の嫁になるよ」(天龍)

遂に今週日曜日(15日)に迫った「天龍源一郎引退試合」。7週に渡ってお送りして来たカウントダウン企画の最後は、その39年に及ぶプロレスラー生活を最も間近で支えた家族のエピソードで締めたい。

先ずは1人娘の紋奈さん。ご存じ、今では「天龍プロジェクト」の代表だが、業界のお手伝いをしていたのは中学2年の頃から。実は筆者も99年、リングの片付けを手伝ったことがあるのだが、その際、場を仕切っていたのが若干15歳の紋奈さん!特に場内に敷くブルーシートを丸めて返す際、その巻き方に、「たわみが出ないように!」と怒られたのを覚えている(苦笑・しかも紋奈さんがやると、確かにたわみが出ないのである)。

「天龍プロジェクト」以降は、天龍の取材に常に同行。喫茶店で筆者が担当した時、天龍が「じゃあ、チーズケーキ」と頼んだことがあった。すると、天龍はそれをほんの端の方だけ食べ、そっと紋奈さんの方に寄せた。何者も入れない父娘関係を感じた一瞬だった。なお、紋奈さんに「お父さんをどう思うか?」聞いたところ、「家族としての贔屓目抜きに、こんな凄い男はいないと思う」とのことだった。必然的に、理想の男性像も高くなる?ただ、今までの彼氏は、全て天龍に紹介しているそう。因みに、紋奈という名も生まれる前から用意されていたものだが、もし男の子なら、「龍稔(たつとし)」と名付けられる予定だったという。

「俺の嫁は、馬場さんの奥さんより綺麗だろ(笑)」(天龍・84年)

妻・まき代さんとの結婚は、付き合って僅か半年。このスピードのわけは、ある知り合いの嘘。「あの子、お前のこと、気に入ってるらしい」と言われ、その気になった天龍だが、すぐにそんな事実はなかったことが判明。騙されたのだ。面白おかしく利用されたと感じた天龍は、すぐにまき代さんにプロポーズ。「みてろ、必ず幸せにしてやる」という気概と、嘘をつかれたことへの反骨心は、いかにも天龍らしかった。

02年のこと、S紙の記者が天龍に告げた。「姉が32歳でガンで他界しまして」。すると天龍は、「あっちへ行けよ」。見ると目が赤く染まっていた。泣いていたのだ。若い頃、大切な人を同じ病気で亡くしたことがあったという。引退の理由に、同じくガンを患ったまき代さんの看病への専念をあげたことも、やはり天龍らしかった。

身長もだが、声も似ていた、父・源吾さん

最後に父・源吾さん(13年に逝去)。天龍(嶋田)家は源吾郎、源造、源吾と、代々「源」の字がつき、天龍は第15代目の当主だとか。力士を廃業してからのプロレス入りに猛反対しながらも、いざ地元に来ると特別リングサイドで声を嗄らして息子に声援を送った。猪木vs天龍(94年1月4日・東京ドーム)の際も観戦し、「これだけ満員になったのは、ウチの息子のお陰」と、誇らしげだったことが懐かしい。天龍が角界デビューしてからの地元の新聞を、プロレス以降も含め、全て切り抜いて保存していた源吾さん。そのファイルのラスト記事のタイトルは、「ふるさとのスター達」だった。

プロレスライター 鳥浜 英佐

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