【高木の話】「本当に10年前から、本当はもっと前ですね。もっと前から、2000年代から新日本プロレスとDDTは始まっていて、たぶん2000年頭ぐらいのライオンズロードとかで。やっぱり業界の盟主だったし、あの時、我々もまだまだ力及ばずでした。10年、20年経って、もちろん横一列になったとも思っていないし。我々はまだまだ下から追い上げていく方が似合うし、新日本プロレスにはドーンと業界の盟主でいてくれないと困るし。でも、これだけの熱量を生んだってことは今日間違いない。それは本当に20年前があって、10年、今と新日本プロレス、DDTの歴史がクロスオーバーした、その熱量なんだろうなと思います。これがまた何年かして、また新たな話ができるかもしれないし。KONOSUKE TAKESHITA3団体所属だし、MAOもBEST OF THE SUPER Jr.出たし。メチャクチャやったけど、あれ見てこのヤローって思う選手は絶対いると思うし、思わなきゃウソだと思うし。今日俺が負けたことでクソーって思ってるDDTの選手だっているだろうし。そういうものがいろいろ積み重なって、また新たなうねりを作ればいいんじゃないですかと思います。私個人なんですけど、正直もう鶴見亜門GMから話が来たのが直前だったんで。医者から簡単な運動だったらしていいですよと言われてた状態なんでね。でも自分で動いてて思ったけど、あ、いけるなと思ったんでね。ひょっとしたら、そう遠くないうちに皆さんの前に姿を現すかもしれないですし、もうちょっと体を整えてからやると思いますんで、どうか、その時をお楽しみにしてもらえればと思います。ありがとうございました」
『DDTプロレス×新日本プロレス 一面対抗戦〜スーパー・ササダンゴ・マシンvs矢野通〜』後楽園ホール(2025年6月9日)
DDT EXTREME選手権試合〜コーナーマット・オン・ザ・マット・ルール △スーパー・ササダンゴ・マシンvs矢野通△
DDTと新日本の一面対抗戦が実現し、棚橋がサプライズ参戦。10年前の対抗戦を再現するHARASHIMAとの再会対決が実現し、大団円で興行を終えて「こうして10年経ってDDTの皆さんに心を救われました」と感謝した。
ササダンゴと矢野は昨年のDDT6・26新宿大会で一騎打ちを行い、矢野が勝利。「団体に所属する個人が団体の理念、歴史、スタイル、ファンの思いを背負いつつ部分的、局所的に抗争する」をコンセプトに1年ぶりの再戦が“一面対抗戦"として実現することになった。
大会の模様はDDTを配信する「WRESTLE UNIVERSE」、新日本を配信する「新日本プロレスワールド」で同時PPV生配信。契約数でも競い合うことになる。また、レフェリーがDDT・松井幸則、新日本・佐藤健太、リングアナウンサーがDDT・井上マイク、新日本・阿部誠と両団体から起用され、応戦スペシャルアンバサダーをアントーニオ本多、YOHが担当。MAOとエル・デスペラードが応援サイン会を開催し、須見和馬と永井大貴がスペシャルセコンドボーイを務めた。
大会開催に先立ち、未決定事項の最終調整&応援合戦を実施。レフェリーは松井レフェリー、佐藤レフェリーのくじ引きの結果、新日本、DDTの順で5分ごとに裁くことが決まった。リングアナは開始のゴングを二人同時に叩き、勝者側の団体のリングアナが決着のゴングを叩くことに。選手の入場は両リングアナによるくじ引きの結果、矢野、ササダンゴの順に決まった。
そしてスペシャル応援アンバサダーのディーノ、ヒロムが登場。ともに「DDT!」コール、「新日本!」コール、「ササダンゴ!」、「ヤノトール!」コールを煽り合うと、気づけばディーノがヒロムの背後に。気づいたヒロムが振り返ると、ディーノがリップロックを迫った。ヒロムの唇を奪う寸前に場内が暗転。一面対抗戦の開始を迎えた。
永田裕志が新日本応援席に陣取る中、矢野、ササダンゴの順で登場し、19時8分、開始のゴングが鳴った。矢野がパウダー攻撃からの丸め込み連発で先手を取り、バックステージになだれ込んでの乱闘を展開。セコンドについた須見と永井も乱闘に発展し、急きょ両者による若手対決が3分1本勝負のエキシビションマッチで行われ、延長戦も含む合計8分の意地の攻防を繰り広げた。
スペシャルアンバサダーの本多とYOHは創作昔話・ごんぎつねを二人で披露。ササダンゴは「私が矢野通に勝利し、一面対抗戦の勝者となるための方法」と題したパワーポイントを行った。その中で自身が保持するDDT EXTREME王座をかけると宣言したササダンゴは「相手の得意分野で勝負して勝たなければ相手の心を折ることはできません」とし、相手陣営のコーナーマットから3カウントを奪った方が勝者となる「コーナーマット・オン・ザ・マット」ルールで対戦することに。その中でDDT独自のスローモーションに突入。矢野もスローモーションの世界に入り込んだ。
ここで思わぬサプライズが発生する。YOHが「10年前の借り返してないんですよ。スッキリしないというかモヤモヤしてたんですよね」と思いのたけをぶちまけた。YOHのいう10年前は2015年11・17後楽園大会『#大家帝国主催興行』のこと。「HARASHIMA&大家健vs棚橋&小松洋平(現YOH)」が実現し、YOHはHARASHIMAに敗れている。ササダンゴが「小松はスターになる。その時はまたDDTさんのリングに上げてください」という当時の棚橋の発言を持ち出すと、棚橋は後楽園ホールと同じビル内にある後楽園飯店で南海キャンディースの山里亮太さんと対談中だった。その様子が中継されると、棚橋はコスチューム姿で食事中。場内の棚橋コールの大合唱が届いたか、箸を置いた棚橋は山里さんに伴われて聖地・後楽園に駆けつけた。
棚橋&矢野&YOHとササダンゴ&彰人&本多の“プチ全面対抗戦"が急きょ実現。YOHが勝利目前に迫ったものの、棚橋が試合権利を奪うと、ササダンゴにハイフライフローを放って勝利を横取り。YOHをスターにするべく山里さんの提案で実現した一戦だけに場内は大ブーイングに包まれ、ササダンゴも「だから新日本プロレスは信用できない。もうDDTと新日本プロレスは絶交でーす」と宣言した。
ここで現れたのがかつてまっするの総合演出を担当した鶴見亜門氏。今はプロレス界の平和維持を目的とする世界プロレスリング連合の一員といい、「仲良く平和的にやっていこうとしてるのに、何でお前ら対抗戦なんてやってんだ? お前たちは連帯責任だ。世界プロレスリング連合がプロレス平和維持軍を派遣した。6人まとめて鎮圧してやる!」と制裁を宣言。HARASHIMA、大家、石川修司、大鷲透、MAO、そして世界プロレスリング連合代表理事という高木三四郎が登場。棚橋&矢野&YOH&ササダンゴ&彰人&本多との12人タッグが急きょ実現した。
DDTと新日本の関係が悪化したのが2015年8・23両国大会におけるHARASHIMAと棚橋の一騎打ち。勝利した棚橋が「全団体横一列で見てもらったら困る」と発言し、物議をかもした。そして同年11・17後楽園大会のタッグ対決に繋がったが、その時の4人が10年前を再現するように一堂に集結した形となった。再会対決となった棚橋とHARASHIMAはエルボー合戦で火花。HARASHIMAがミドルキックを連発すれば、棚橋はドラゴンスクリューでやり返して譲らず。テキサスクローバーホールドで絞め上げた。
高木は現在、無期限休業中で限定復帰。棚橋ら6人をスタナーで次々になで斬りにする大立ち回りを見せた。棚橋組も6人同時のバイオニックエルボーで応戦。YOHが高木にトラースキックを連発して勝機を迎えると、再び棚橋が試合権利を奪い、スリングブレイドをさく裂。再びブーイングを浴びた棚橋だったが、YOHが求めるタッチに応じた。そしてYOHがHARASHIMAばりの蒼魔刀を放つと、最後はドラゴンスープレックスホールドで高木から3カウントを奪った。
敗れた高木が「棚橋社長、矢野さん。いい選手じゃないですか! YOH選手、俺から勝ったというのはどういう意味か分かってるか? でもな、DDTの芯は折れちゃいない。だから何年経っても10年経ってもこの戦いは続く。だからお前、スーパースターになってみろ!」とYOHを称えたうえでエール。棚橋も「社長として多くの価値観を理解できるようになりました。新日本プロレスとDDTもっと力を合わせてやっていってもいいんではないでしょうか。一緒にプロレスを盛り上げていきましょう」と呼びかけた。
リング上の全員がリングから降り、二人のレフェリーと観客が場外カウント20を数えて終了のゴング。ササダンゴと矢野の一面対抗戦は両者リングアウトで幕を閉じた。トータルタイムは2時間6分31秒。巌流島決戦「アントニオ猪木vsマサ斉藤」(1987年10月4日)の2時間5分14秒を超えるロングマッチとなった。最後はリング上の全員と観客が一体となっての「3、2、1、愛してまーっする! まっする!」唱和で大団円となった。
DDTの独自の世界観が展開された中で両団体が“一面対抗戦"というパッケージを完成させた。これによって両団体間にあった溝は完全に氷塊。これからはプロレス界の発展を目指して協力し合いつつ切磋琢磨していく関係となる。かつての「横一列」発言を「本来であれば、ずっと背負っていかなきゃいけないことなのかもしれない」と受け止めていた棚橋だが、来年1月の引退を前に払しょくする機会に恵まれた形。「こうして10年経ってDDTの皆さんに心を救われました。贖罪とは思いませんが、本当に皆さんの愛で今回、僕の心は救われました」と感謝していた。
【棚橋の話】「もう10年経ったんだって思いと、あの時の心のひりつきっていうのが今でも本当に手に取るように思い出せて。今こうして新日本プロレスを預かることになって、一選手として何でも言ってた自分ってのがいたんだけど。本来であれば、ずっと背負っていかなきゃいけないことなのかもしれない。ことなんですけど、こうして10年経ってDDTの皆さんに心を救われました。より遠くのものを見て、社長になって、いろんな立場の人、思慮が深くなるというか。でもこうして残り引退まで半年のこのタイミングであっても、今回この大会ができたことが僕にとってうれしいし、贖罪とは思いませんが、本当に皆さんの愛で今回、僕の心は救われました。ありがとうございました」
【試合後のササダンゴ、矢野】
▼矢野「ありがとうございました」
▼ササダンゴ「ありがとうございました」
▼矢野「2時間戦ったの初めてですね」
▼ササダンゴ「(笑) 疲れすぎちゃってなんも言葉が出ないんですけど、新日本プロレスとDDTの関係がこれで一区切りついたんじゃないかなと。一面と言いながら多面的な部分で競い合えて」
▼矢野「僕、最後までサイン描いてたんで」
▼ササダンゴ「私はまったくサインを各体力が残っておりませんでしたが、正直なことを言って入場した瞬間から、いや入場する前からですね。6時半の前説からずっと夢みたいな空間が続いていました。このメンバーでこんな興行ができるようになるなんて10年前、いや僕がプロレス業界に入って25年経って、本当に想像つかなかったし、そういうような人生が待ってるなんて僕は想像もできませんでした。いろいろな夢を叶えてくれた矢野さん、本当にありがとうございました」
▼矢野「どうもありがとうございました」
【高木の話】「本当に10年前から、本当はもっと前ですね。もっと前から、2000年代から新日本プロレスとDDTは始まっていて、たぶん2000年頭ぐらいのライオンズロードとかで。やっぱり業界の盟主だったし、あの時、我々もまだまだ力及ばずでした。10年、20年経って、もちろん横一列になったとも思っていないし。我々はまだまだ下から追い上げていく方が似合うし、新日本プロレスにはドーンと業界の盟主でいてくれないと困るし。でも、これだけの熱量を生んだってことは今日間違いない。それは本当に20年前があって、10年、今と新日本プロレス、DDTの歴史がクロスオーバーした、その熱量なんだろうなと思います。これがまた何年かして、また新たな話ができるかもしれないし。KONOSUKE TAKESHITA3団体所属だし、MAOもBEST OF THE SUPER Jr.出たし。メチャクチャやったけど、あれ見てこのヤローって思う選手は絶対いると思うし、思わなきゃウソだと思うし。今日俺が負けたことでクソーって思ってるDDTの選手だっているだろうし。そういうものがいろいろ積み重なって、また新たなうねりを作ればいいんじゃないですかと思います。私個人なんですけど、正直もう鶴見亜門GMから話が来たのが直前だったんで。医者から簡単な運動だったらしていいですよと言われてた状態なんでね。でも自分で動いてて思ったけど、あ、いけるなと思ったんでね。ひょっとしたら、そう遠くないうちに皆さんの前に姿を現すかもしれないですし、もうちょっと体を整えてからやると思いますんで、どうか、その時をお楽しみにしてもらえればと思います。ありがとうございました」