【ストロングスタイル】初代タイガーマスクが故・新間寿さん追悼「新しいプロレスが始まります」 前田日明とのレスラー育成計画明かす 2025/6/12
『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.34 THE 20th ANNIVERSARY-“過激な仕掛人"新間寿追悼興行-』後楽園ホール(2025年6月12日) 新間寿さんの追悼セレモニーに初代タイガーマスク、前田日明、藤原喜明らが参加。初代タイガーは新間さんを追悼すると、「新しいプロレスが始まります」と意気込み、前田とのレスラー育成計画を明かした。 新間さんは元新日本プロレスの専務取締役営業本部長で、故・アントニオ猪木さんの右腕として活躍。76年6月の猪木vsモハメド・アリ戦、初代タイガーマスクのデビュー、IWGP構想などの実現に尽力し、“過激な仕掛け人"と称された。近年は初代タイガーマスクが主催するストロングスタイルプロレスの会長を務めていたが、4月21日に都内の自宅で死去。90歳だった。 追悼セレモニーには初代タイガーが参加。新間さんのご家族や試合に出場する船木誠勝やジャガー横田ら出場選手、さらには前田、藤原、北沢幹之、中嶋勝彦もリングに並び立った。また、スタン・ハンセンから届いたVTRメッセージも公開され、「皆さんが彼を忘れないでいてくれると嬉しい。彼がどれだけすごいプロモーターだったか、折に触れて思い出してほしい」と話した。 歩いてリングインした初代タイガーは「本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。私たちの昭和のプロレスの父を失いました。新間さんとの約束通り、私は新間さんとここに2人に立つつもりで、今日皆さんの前に来ました」と新間さんを追悼。新間さんの通夜の席で前田と久々に再会したことを明かし、「僕は歩けなかったんですが、新間さんの通夜で前田君が『佐山さん治りますよ』と声をかけてくれて、アインプロスという注射を紹介してもらって、今日ここに歩けるようになって帰ってきました。このままいけば1年後には再デビューできそうです。新間さんが僕らの姿を見て一番喜んでいると思います」と語って、大きな拍手を巻き起こした。 新間さんの功績を引き継いでいくと誓った初代タイガーは「前田君と1時間ぐらい電話したんですけど、新しいプロレスラーを育てようと思っています。ニューヨークに負けないような選手を育てていきたいと思います」と前田とのレスラー育成計画を明かしてどよめきを誘うと、「このセレモニーから新しいプロレスが始まります」と宣言。選手や関係者、観客とともに新間さんに黙祷を捧げ、ストロングスタイルの復興を改めて誓った。 バックステージでも初代タイガーと前田、藤原は並んでコメントを発表。初代タイガーは「前田くんから『自分の若い頃のスピード感ある練習を佐山さん覚えてますか?』と言われて、そういうのを思い出して。タイガー・クイーンとか育てましたけど、そうじゃなくて、昭和のプロレスみたいな形で、実戦をもとにした俊敏なプロレスラーを育てようという」と意気込みつつ、「前田くんが『お互いに竹刀を使ってやりましょう』と言ったんで」と冗談まで口に。それを聞いて、笑みを見せた前田も2人でレスラーを育てる試みについて「それができたら最高ですね」と前向きだった。 【初代タイガー&藤原&前田の話】 ――佐山さん、リング上でおっしゃった前田さんと新しいプロレスラーを育てるのは、どういう構想? ▼初代タイガー「前田くんから『自分の若い頃のスピード感ある練習を佐山さん覚えてますか?』と言われて、そういうのを思い出して。タイガー・クイーンとか育てましたけど、そうじゃなくて、昭和のプロレスみたいな形で、実戦をもとにした俊敏なプロレスラーを育てようという。前田くんが『お互いに竹刀を使ってやりましょう』と言ったんで」 ▼前田「(笑)」 ――前田さんはそのプロジェクトでどういう構想を現時点で持っている? ▼前田「時間をかけてね、ちゃんとした…。自分らの頃はメインイベントに出れるようなレスラーの体を作るトレーニングは5年かかったんですよ」 ▼藤原「ちょっと待って。俺は10年かかったよ」 ▼前田「自分なんかは18で入りましたけど、1年ぐらいの間に3点ブリッジでも2人3人乗せて。それがもう最低ラインですよね。だから、みんな打たれ強かったし、よもやの事故的な落ち方をしても怪我をしなかったという。まあ、痛めることはあっても、怪我しなかったですね。だから、今のプロレスを見ていると、そういう体ができてないにもかかわらず、自分たちの時代のレスラーのイメージで、自分が受けれないことを相手に行って、相手を壊すというのがほとんだと思うんですよね。まず時間をかけて、選手をビシッとレスラーの体にして、リングに立つのが大事なんで」 ――お二人が共同してプロレスラーを育成すると考えてもいい? ▼前田「それができたら最高ですね」 ――藤原組長はどうやって関わる? ▼藤原「俺はもう先がないんで。2人を見守るだけで」 ▼前田「(笑)」 ▼初代タイガー「酒は禁止です」 ▼藤原「最後はアル中で死ぬのかね(笑)」 ――佐山さん、その構想は新間さんのために、ふわさしいレスラーを作りたいという思いから考えた? ▼初代タイガー「それは前から言ってます。そこに前田君が会いに来てくれた。『佐山さん治りますよ』って。新間さんが近づけてくれたと思います。それでいい話も聞けたんで」 ▼前田「実はね、新間さんのお通夜に行ったんですね。自分は仕事があって本葬に行けなくて。お通夜に行ったら、新間さんのご長男のつね(寿恒)君が『佐山さんが来てます』と。『佐山さんがお待ちのところで待っていてください』と言われて、行きながら「うわー、佐山さんか』と思って、ちょっと険しい雰囲気になるのもお通夜だからなあ、どうしたらいいのかなと思いながら入って、パッと見たら、佐山さんの横に新間さんが立ってたんですよ。ビックリして、一瞬ウワーッと思ったんだけど。そういえば、去年自分がやったイベントに新間さんが出てくれて、一番最後に『佐山と仲良くできないのか。俺が会食の場を設けるから、なんとかしてくれよ』と言ってたなというのを思い出して。だったら、もうそういうことなんだなと思って。アインプロスっていう点滴1本で50万ぐらいするヤツがあるんですよ。それはすごい体の中を活性化して、免疫にブーストをかけるようなヤツなんですよね。よく武尊君なんかがやってるんですけど、武尊君がスーパーレックとやって、ローキックを散々受けた足が真っ黒に変色してやって、筋断裂を何ヶ所も起こして、大腿骨にもヒビが入ってという状況だったんですけど、そのアインプロスをやると、10日目にはもう武尊君が歩けるようになったんですよ。だから2戦目できたんですね。本当はそれがなかったら、たぶん1年以上は試合できなかったですね。武尊君は今はもう月に何回も仕事が入ってて、体のケアも。前回の試合でも胸骨とアバラを折ってというんで、試合できるはずなかったんですけど、それもアインプロスを打って試合したんですよね。そういう効力のあるものですから、ちょっと前に理事長とお話しした時に、佐山さんを見たいですねとおっしゃっていたんで、そうだな、マインプロスをやるといいよなと思ったんで、佐山さんにそう言ったんです。というわけです」
『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.34 THE 20th ANNIVERSARY-“過激な仕掛人"新間寿追悼興行-』後楽園ホール(2025年6月12日)
新間寿さんの追悼セレモニーに初代タイガーマスク、前田日明、藤原喜明らが参加。初代タイガーは新間さんを追悼すると、「新しいプロレスが始まります」と意気込み、前田とのレスラー育成計画を明かした。
新間さんは元新日本プロレスの専務取締役営業本部長で、故・アントニオ猪木さんの右腕として活躍。76年6月の猪木vsモハメド・アリ戦、初代タイガーマスクのデビュー、IWGP構想などの実現に尽力し、“過激な仕掛け人"と称された。近年は初代タイガーマスクが主催するストロングスタイルプロレスの会長を務めていたが、4月21日に都内の自宅で死去。90歳だった。
追悼セレモニーには初代タイガーが参加。新間さんのご家族や試合に出場する船木誠勝やジャガー横田ら出場選手、さらには前田、藤原、北沢幹之、中嶋勝彦もリングに並び立った。また、スタン・ハンセンから届いたVTRメッセージも公開され、「皆さんが彼を忘れないでいてくれると嬉しい。彼がどれだけすごいプロモーターだったか、折に触れて思い出してほしい」と話した。
歩いてリングインした初代タイガーは「本日はご来場いただきまして誠にありがとうございます。私たちの昭和のプロレスの父を失いました。新間さんとの約束通り、私は新間さんとここに2人に立つつもりで、今日皆さんの前に来ました」と新間さんを追悼。新間さんの通夜の席で前田と久々に再会したことを明かし、「僕は歩けなかったんですが、新間さんの通夜で前田君が『佐山さん治りますよ』と声をかけてくれて、アインプロスという注射を紹介してもらって、今日ここに歩けるようになって帰ってきました。このままいけば1年後には再デビューできそうです。新間さんが僕らの姿を見て一番喜んでいると思います」と語って、大きな拍手を巻き起こした。
新間さんの功績を引き継いでいくと誓った初代タイガーは「前田君と1時間ぐらい電話したんですけど、新しいプロレスラーを育てようと思っています。ニューヨークに負けないような選手を育てていきたいと思います」と前田とのレスラー育成計画を明かしてどよめきを誘うと、「このセレモニーから新しいプロレスが始まります」と宣言。選手や関係者、観客とともに新間さんに黙祷を捧げ、ストロングスタイルの復興を改めて誓った。
バックステージでも初代タイガーと前田、藤原は並んでコメントを発表。初代タイガーは「前田くんから『自分の若い頃のスピード感ある練習を佐山さん覚えてますか?』と言われて、そういうのを思い出して。タイガー・クイーンとか育てましたけど、そうじゃなくて、昭和のプロレスみたいな形で、実戦をもとにした俊敏なプロレスラーを育てようという」と意気込みつつ、「前田くんが『お互いに竹刀を使ってやりましょう』と言ったんで」と冗談まで口に。それを聞いて、笑みを見せた前田も2人でレスラーを育てる試みについて「それができたら最高ですね」と前向きだった。
【初代タイガー&藤原&前田の話】
――佐山さん、リング上でおっしゃった前田さんと新しいプロレスラーを育てるのは、どういう構想?
▼初代タイガー「前田くんから『自分の若い頃のスピード感ある練習を佐山さん覚えてますか?』と言われて、そういうのを思い出して。タイガー・クイーンとか育てましたけど、そうじゃなくて、昭和のプロレスみたいな形で、実戦をもとにした俊敏なプロレスラーを育てようという。前田くんが『お互いに竹刀を使ってやりましょう』と言ったんで」
▼前田「(笑)」
――前田さんはそのプロジェクトでどういう構想を現時点で持っている?
▼前田「時間をかけてね、ちゃんとした…。自分らの頃はメインイベントに出れるようなレスラーの体を作るトレーニングは5年かかったんですよ」
▼藤原「ちょっと待って。俺は10年かかったよ」
▼前田「自分なんかは18で入りましたけど、1年ぐらいの間に3点ブリッジでも2人3人乗せて。それがもう最低ラインですよね。だから、みんな打たれ強かったし、よもやの事故的な落ち方をしても怪我をしなかったという。まあ、痛めることはあっても、怪我しなかったですね。だから、今のプロレスを見ていると、そういう体ができてないにもかかわらず、自分たちの時代のレスラーのイメージで、自分が受けれないことを相手に行って、相手を壊すというのがほとんだと思うんですよね。まず時間をかけて、選手をビシッとレスラーの体にして、リングに立つのが大事なんで」
――お二人が共同してプロレスラーを育成すると考えてもいい?
▼前田「それができたら最高ですね」
――藤原組長はどうやって関わる?
▼藤原「俺はもう先がないんで。2人を見守るだけで」
▼前田「(笑)」
▼初代タイガー「酒は禁止です」
▼藤原「最後はアル中で死ぬのかね(笑)」
――佐山さん、その構想は新間さんのために、ふわさしいレスラーを作りたいという思いから考えた?
▼初代タイガー「それは前から言ってます。そこに前田君が会いに来てくれた。『佐山さん治りますよ』って。新間さんが近づけてくれたと思います。それでいい話も聞けたんで」
▼前田「実はね、新間さんのお通夜に行ったんですね。自分は仕事があって本葬に行けなくて。お通夜に行ったら、新間さんのご長男のつね(寿恒)君が『佐山さんが来てます』と。『佐山さんがお待ちのところで待っていてください』と言われて、行きながら「うわー、佐山さんか』と思って、ちょっと険しい雰囲気になるのもお通夜だからなあ、どうしたらいいのかなと思いながら入って、パッと見たら、佐山さんの横に新間さんが立ってたんですよ。ビックリして、一瞬ウワーッと思ったんだけど。そういえば、去年自分がやったイベントに新間さんが出てくれて、一番最後に『佐山と仲良くできないのか。俺が会食の場を設けるから、なんとかしてくれよ』と言ってたなというのを思い出して。だったら、もうそういうことなんだなと思って。アインプロスっていう点滴1本で50万ぐらいするヤツがあるんですよ。それはすごい体の中を活性化して、免疫にブーストをかけるようなヤツなんですよね。よく武尊君なんかがやってるんですけど、武尊君がスーパーレックとやって、ローキックを散々受けた足が真っ黒に変色してやって、筋断裂を何ヶ所も起こして、大腿骨にもヒビが入ってという状況だったんですけど、そのアインプロスをやると、10日目にはもう武尊君が歩けるようになったんですよ。だから2戦目できたんですね。本当はそれがなかったら、たぶん1年以上は試合できなかったですね。武尊君は今はもう月に何回も仕事が入ってて、体のケアも。前回の試合でも胸骨とアバラを折ってというんで、試合できるはずなかったんですけど、それもアインプロスを打って試合したんですよね。そういう効力のあるものですから、ちょっと前に理事長とお話しした時に、佐山さんを見たいですねとおっしゃっていたんで、そうだな、マインプロスをやるといいよなと思ったんで、佐山さんにそう言ったんです。というわけです」