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10/1【大仁田事務所】会見における大仁田の詳細コメント(写真あり)

 1日、東京・竹芝のZERO1道場で会見した大仁田厚の詳細コメントは以下の通り。

【会見における大仁田】
▼大仁田「7月25日に袖ヶ浦市臨海スポーツセンターにおいて40周年記念特別興行を行った時、その事前に2月頃から営業、宣伝活動で袖ヶ浦に数十回訪れました。その時にこの市というのはもったいないという思いが募りました。となりの木更津は凄く繁栄して人口も増加してるのに、なぜ袖ヶ浦市はこんなに閑散としているのかと感じました。商店街もちょっと寂れていて、これってどうにかできないものかと。市や財政をネットとかで調べているうちに資質は持っているのに、なぜこの市は繁栄しないのかということを僕なりに真面目に真剣に検討しまして、10月25日に市長選があるという話を耳にしました。ただ申し訳ありませんが袖ヶ浦市という所に縁もゆかりもないものですから、批判は承知の上なんですよ。興味を抱いて市役所を訪れて資料をもらったり、市のことを研究したり、自分の中で問題点を考えたりしたんです。そんな中で自分に何ができるのかと考えまして、僕の中で(出馬の)意欲は十分にありますし、来週、週明けにも正式に発表したいと思います」

――具体的にどのような政策を?

▼大仁田「抜本的に。大型店舗があり、商店街が寂れてるんですよ。地産地消じゃないですけど、地方の特色を活かして商店街を回復させていくしかないと思うんですよ。田舎は歯抜け状態になっていて、僕の大好きな不二家が商店街の中で潰れてましたからね。初めて訪れた時にあったのが撤退してしまった。そういう現状は客観的に見てガックリきましたね」

――政党の支持を受けるつもりは?

▼大仁田「今のところ完璧なる無所属で。政党支持があるとそれなりに政党の言うことを聞かないといけなくなる。そのつもりは全くありませんので。6万市民のためになることを考えています」

――袖ヶ浦との関係は7月の興行が始まり?

▼大仁田「そうです。木更津のプロモーターさんがいまして、木更津では去年、おととしとやってます。そのとなりに袖ヶ浦があると聞きまして、体育館を見にいったら凄い施設だったんで、ここでやった方がいいと。プロレスも30年以上、袖ヶ浦市でやったことがなかったんですよ。そんなことで袖ヶ浦市に目をつけました。今年の2月頃から営業活動している間に、商店のおばちゃんにお茶をもらったり、農家を回ったりしている時にジャガイモをくれたり。東京からアクアラインを通って1時間の所にまだこれだけ優しさのこもった土地があるんだなって。やっぱり人間の優しさって忘れちゃいけない、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと。この優しさを誰かが守らなきゃいけないんじゃないかと感じるようになって袖ヶ浦のことを勉強していきましたね。資質を持ってるのに発展しない、何もしない。人口も増加してませんし。となりの木更津は1万人とか増加してるのにもったいないなと。これを誰かがやらないのかなと考えた時に前向きに勉強するべきだと思いました」

――どのようにして有権者に理解を求めていく?

▼大仁田「正直僕はその土地で生まれてませんので理解してもらうために今、いろんなことを必死に考えている最中です。その土地で生まれてないからこそわかることもいっぱいあるというのが自分の中であります。人間が持ってる本質的なものがこの土地は失われてないなと。その土地に何十年も住んでる人たちにどう訴えかけていったらいいのか自分の中で考え中です。新しい波が風がくるわけです。それに対する拒否反応はたぶんあると思います。それをどう和らげていくかというのを今、考え中です」

――具体的に市民からの支援などネットワーク作りは?

▼大仁田「選挙っていろんな人に支援もしてもらわないといけない。それを前向きに考えてます。全く何もなしにやるつもりはありません。ただ、あくまでも市民のネットワークとともにやりたいなという意向があります。やっぱり前向きですし、出馬の意向はありますけど、正式の表明は千葉県内でやらないとそれは失礼。来週開けたら早々にやりたい。意向は十分にあります」

――選挙にあたって住所を移すことになる?

▼大仁田「それは来週明けたら。住まいは袖ヶ浦に持っています。(大会の)準備期間に借りましたから。事務所をどこにするか決定してませんけど、住むところは袖ヶ浦になります」

――商店街の問題点は?

▼大仁田「やっぱりあきらめちゃいけないということ。閉塞感があの町に漂っていて、これでいいんだと。確かに二つの考えがある。新しい波を拒否する考え方と、田舎は特にそうだけど、このままでいいとふた通りの考え方がある。でも子どもたちや若者たちの未来のために新しい波を起こし、いろんなことをやっていかないといけないと歩きながら思いました」

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