6/1【誠心会館/NOAH】「もう蹴ることできない」青柳が引退表明、交通事故で右足30ヶ所粉砕骨折 ノアで引退セレモニー開催へ
誠心会館の“館長"として親しまれた、空手家・プロレスラーの青柳政司が1日、現役引退を表明した。交通事故で一時意識不明の重体に陥っており、右足30ヶ所を粉砕骨折。「もう蹴ることができない」と決断した。
5月9日に趣味のバイクツーリングに出かけた際、スポーツカーと激突。意識不明のまま病院に運ばれ、病院で意識は戻ったものの緊急手術を受けた。
青柳は1日、ノアを通じてコメントを発表。「右足はバイクのステップとエンジンの間に挟まれたそうです。鉄のマフラーが裂けるぐらいでした」と当時の状況を報告したうえで、「右足のヒザから下は小さな骨折を入れますと30ヶ所の粉砕骨折。ばい菌が入ると切断します、と言われました。もうリングに戻ることはできないと言われ、よく考えて決断をしました」と“ドクターストップ"がかかった経緯を説明した。「もう館長は蹴ることができません。今は早く歩けるようにリハビリを頑張るだけです」と続く文言に無念さもにじんだ。
自ら「誠心会館」を設立し、空手家として活動していた青柳は、1989年10月のFMW旗揚げ戦・大仁田厚戦でプロレスラーとしてデビュー。1990年からは新日本に参戦し、越中詩郎らと抗争を展開して全国的な知名度を得た。その後は各団体に参戦し、2000年からは齋藤彰俊とともにノアに主戦場を移した。
近年ではノアの名古屋大会や札幌大会にスポット参戦。2013年には網膜はく離悪化による左目失明を明かしたものの、現役続行を宣言した。ヤス久保田、ヒデ久保田と“名古屋維真軍"を結成し、ノア勢に“喝"を入れ続けてきた。
ノアでは長期にわたる功労者である青柳の引退セレモニーの開催を検討中。詳細は追って発表される。ノアを通じて発表された引退に際する青柳のコメントは以下の通り。
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私、誠心会館館長、青柳政司は6月1日をもちましてプロレスを引退をする決意をしました。
理由は体力の若干の衰えもありますが、何とか60歳までは続けて行けたら、と思っていました
5月9日に気分を変えて仲間とハーレーダビットソンでツーリングに出かけました。少し雨が降ったので食事をして帰る事にしました。午後3時頃、館長のバイクめがけてスピンをしたスポーツカーと激突しました。
館長の記憶はそこまでしかありません。
数メートル跳ね飛ばされ、意識不明の重体でした。気づいた時は病院で、即手術でした。
怪我の内容ですが、館長の右足はバイクのステップとエンジンの間に挟まれたそうです。鉄のマフラーが裂けるぐらいでした。右足膝から下は小さな骨折を入れますと30ヶ所の粉砕骨折。ばい菌が入ると切断します、と言われました。
もうリングに戻る事はできないと言われ、よく考えて決断をしました。
もう館長は蹴ることができません。
今は早く歩けるようにリハビリを頑張るだけです。
FMW、パイオニア、新日本プロレス、東京プロレス、ZERO1、そのほかの団体、そしてプロレスリング・ノアには大変お世話になりました。
応援していただいたファンの皆様には本当に、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
2015年5月31日
誠心会館館長 青柳政司