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7/24【FMW】会見における大仁田の詳細コメント(写真あり)

 24日、都内・カラオケ館五反田店で会見した大仁田厚の詳細コメントは以下の通り。

【会見における大仁田】
▼大仁田「紆余曲折あって、どん底に落ちたり、這い上がったりしてますが、40年と言われるとそうかなというのがありますけど、休んでた期間もありますし、40年という区切りを自分の中で決めようと思いました。じゃないと2年と2ヶ月、選手生活の区切りがつかないもんですから。盟友であった高橋部長とともにFMWを興して、伝説と言われた5万円と友達に2万6千円借りて7万6千円で始めたFMW。僕が辞めたり、新生FMWが旗揚げしたり。何だかんだ家族と言おうか兄弟と言おうか親戚と言おうか…身内が興したとなれば、そこで40周年を送りたいなと思いました。そういった中で、自分の希望としては叶えてもらいたいことが一つ部長にあります。40周年を迎える中で、ぜひ盟友であるターザン後藤を40周年記念に呼んでもらいたい。どういうアンサーがくるか、それはわかりません。ただ僕とターザン後藤に何もありません。引退の2ヶ月前だったかな。急きょターザン後藤が離脱しまして、引退興行・川崎球場でハヤブサ選手と戦うことになりました。それから一時を経て、ターザン後藤と戦うこともありました。ここ14、5年かな。全く会ってもいないし、話してもいない。ただ40年という集大成の中でぜひターザン後藤とリングの上に立ってみたい。それが僕の希望です。40年の中にいろいろありました。忘れもしないジャンボ鶴田さんと馬場さんとテリー・ファンク、ドリー・ファンク・ジュニアの試合をみにいって、その試合の後、馬場さんの控室を訪ねました。それから僕のプロレス人生が始まりました。馬場さんの4代目の付き人になり、そして一時期は膝蓋骨粉砕骨折で引退を余儀なくされて全日本プロレスを離れ、そしてまたどうしてもプロレスのことが忘れられなくて自分で旗揚げしたFMW。その時に僕の友としてやってくれた高橋部長、亡き荒井昌一。そしてまたアメリカの家族とともに僕の一言で馬場さんのオファーを蹴って帰ってきてくれたターザン後藤。昌ちゃんはいみじくも亡くなられましたが、この男が揃わなければ僕の40周年の意味はないと思います。ぜひ8月24日、新宿FACEのリングにターザン後藤が帰ってくることを心から願います。おかげさまでファミレスという電流爆破バット、いみじくも袖ヶ浦市民体育館で第1弾の40周年を執り行うんですけど、本格的には新宿FACE。僕の聖地は後楽園ホールだと思ってましたが、今は新宿FACEのライブ感が楽しくてしょうがないですね。よかったら大仁田のプロレスを一回みてもらいたい」

――後藤とは組むか対戦するかどちらを希望する?

▼大仁田「どっちでも構いません。相手の希望もあるでしょうし。15年も16年も話してないんで」

――高橋代表は後藤参戦の実現へと動くと?

▼高橋代表「はい、動きます」

――FMWではW★INGモンスター軍と抗争中だが、その日はどうなる?

▼大仁田「それはわからない。僕がマッチメークしてるわけじゃないし、ターザン後藤が出てくれば状況も変わるでしょうし。そういった部分で考えてないですよ。(後藤に)出てきてもらいたいという切なる願いですよ」

▼高橋代表「大仁田さんがデビュー40周年と冠つけるのは最後ですかね?」

▼大仁田「そんなこと言ったら5回も6回も引退してるからさ(苦笑) しぶとさで言ったら俺、一番よ。しぶといよ。人生、波乱万丈が面白いじゃないですか」

――40年で一番の思い出は?

▼大仁田「思い出はたくさんありますね。馬場さんの思い出もあれば、全日本プロレスの思い出もある。FMWの思い出もあるし、40年プロレス界で生きてきて、長州力を追いかけた新日本での物語もあるし。さして言えばプロレスファンは温かい!」

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