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3/5【大仁田事務所】会見における大仁田、山近オーナー、矢口の詳細コメント(中編/写真あり)

※前編からの続き

▼山近オーナー「昨日の件を受けて、これからの新木場大会とか、後楽園ホール大会とか、ファンの皆様のご意見をうかがいながら追悼メモリアル、追悼大会も考えてます。できる限り当団体としてできることをしていきます」

▼大仁田「山近代表と高橋、矢口、大仁田が集まったのは本人は来年の5・5川崎球場で復帰を目指して、リハビリに打ち込んでましたので。来年の5・5川崎球場に向けて一致団結してハヤブサが復活というテーマで超戦闘プロレスFMWを作ろうじゃないかと。2・26後楽園ホールでもハヤブサ選手はお客様の前で『お楽しみはこれからだ』ってことを叫んでるんだけど、僕、長崎から講演で帰ってきたばかりでモニターでしか見てないんですけど、試合終了後、ハヤブサ選手が横で一生懸命グッズを売ってる姿が最後のハヤブサ選手の姿になってしまいました」

▼山近オーナー「川崎大会で復帰できるかなと、たまに弱音を吐かれるんですけど、事あるごとにお会いするごとに復帰してください、リハビリされてますか、1年だったらできますよと。こちらが勝手なことを言うのがいいことなのかわかりませんが、お願いですから復帰してください、練習して下さい、お酒を控えて下さいというようなことを嫌われながらも言ってきました」

▼矢口「本人の決め台詞、『お楽しみはこれからだ』というのは彼自身まだまだこんなもんじゃ俺は終われないぞという気持ちがこもってた。絶対にあきらめないというね。プロレスを見てるファンにメッセージを常にしていたと思います」

――5・5川崎球場での引退試合の相手になったが、ハヤブサさんのプロレスのよさは?

▼大仁田「申し訳ないですけど、僕のスタイルは血みどろの戦いであり、デスマッチ路線ですけど、どちらかというとメキシコに遠征させたりしてたもんですから、メキシコのルチャリブレの空中戦。デスマッチ路線と全く違ったものが芽生えた。今でいう大日本の蛍光灯を使う選手から、関本選手、岡林選手という肉体派の選手が出てきたのと同じで、新しい息吹だったですね。全く大仁田厚とは正反対の選手が生まれたような気がしました」

――新しいプロレスを作ってくれる期待があった?

▼大仁田「ありました。でも、どうしてもFMW自体の経営があまり芳しくなかったものですから、自分の中で助けようと思ってちょっとやったんですが、そこは新しい奴らがやりたいと言うもんですから、たもとを分かち合いました」

――ハヤブサさんがケガをされた後、どんな言葉をかけた?

▼大仁田「サンボ浅子が糖尿病で亡くなったりしましたし、僕は声をかけにくかったというか。どうやって生活してるんだとか。昨日ハヤブサ選手のお母さんと話しまして、一言ですが、『ハヤブサこと江崎英治も来年5・5川崎球場を目指して復帰する、カムバックするのを目標に頑張っていた矢先なんですが』という言葉で電話が切れてしまいましたが、昨日お母さんとお話しました。山近代表以下、みんなで5・5までハヤブサが戻れるリングを作ろうというのが最初の趣旨ですから。5・5復帰を目指していたということは言われました」

――天国に旅立ったハヤブサさんに声をかけるとしたら?

▼大仁田「複雑ですね。不思議なことにやっぱりライバルなんですよ。私生活においては飯を食うこともあり、一時期は僕の付き人でしたから。不思議なことに馬場さんがいて、僕が馬場さんの付き人で、ハヤブサが僕の付き人だった。その付き人もいつか成長したらライバルになりますよね。僕が馬場さんに対してライバルといったら失礼かもしれませんけど、全日本を追いかけた部分がある。ハヤブサも大仁田厚を乗り超えようとした部分がある。お互いライバルだと思う。サイン会の時、ちょうど斜め前にいたんですよ。グレート・ニタだったから声をかけられなかったけど。いつもだったら『英治、元気か?』と。声をかけるとしたら『ハヤブサ元気にしてるか?』でしょうね。ずっと永遠に俺たちの心に、そして俺たちのリングにハヤブサという名前は一生残ると思います。それが答えですね。だから何で死んだんだとか、そういうことは言いたくないですね。ハヤブサ自身、前をみて生きてましたので。まだ山近さんと話をしてない状況ですが、ハヤブサの遺志を継いで前を向いて生きるのか、それとも引くのか。それもまた考えないといけないから」

※後編に続きます

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