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3/5【大仁田事務所】会見における大仁田、山近オーナー、矢口の詳細コメント(後編/写真あり)

※中編からの続き

――5・5川崎が実現したら大仁田選手が相手を務めるつもりだった?

▼大仁田「それはまだわからなかったですね。まだ決めてませんでした。そういう可能性もなきにしもあらずでしょうけど、復帰して意外と何年もリングから離れてるとリングに入っただけで足が取られますからね。なかなかそんな簡単なもんじゃありません。ただ、ハヤブサが宙に舞ってほしかったというのはFMWの選手、オフィス全員が同じ意見だと思います」

――ハヤブサさんはどのぐらいまで回復していた?

▼大仁田「この間、脳腫瘍で欠場したRay選手とトレーニングをずっと重ねていて、かなりの回復度までいったと。車椅子から降りて自分自身の力で5メートルから10メートル歩けるようになったと報告を受けましたね」

――山近代表から追悼メモリアルという発言があったが、大仁田選手はどのように考えている?

▼大仁田「申し訳ないですけど、まだ選手全員、代表と話してないですから。山近代表はそう言われましたけど、申し訳ないですけどハヤブサの死を商売にするつもりはありませんので。ハヤブサというのはリングの中の僕らの一つのシンボルだったわけですから、それは選手全員で話し合って、山近代表にぶつけて検討しようと思ってます。山近代表は何らかの形でハヤブサ選手をFMWの象徴として残そうという気持ちから、その言葉が出たんだと思いますけど、選手全員で話し合って、今後どうやっていくのか、どうハヤブサを送るのか選手の気持ちとオフィスの気持ちを話し合ってからの結論だと思います」

――復帰に向けてハヤブサさんはどのような言葉を口にしていた?

▼山近オーナー「本心かどうかわからないですけど、『そんなに早くは無理ですよ』とは言われていました。それは人間の表情とかでよい方向に取ればありがたいという表情に我々は受け取っていましたので、しつこく言ってました。入院されていた病院での様子を知ってますので、その時とはまるで違う、今は歌を歌われたり、車椅子でいろんなところに行かれたりされてるので、。私はできると思っていました。エキシビションでも、メインでなくても、飛んだりできなくても。日本テレビのドキュメントの後に、確かその時はコスチュームを着られていなかったので、一度コスチュームを着て『お楽しみはこれからだ』のあいさつをして下さいと言った時に、『それはまだできない』という返答がありました。それは5月5日に着るよという意味で受け取りました」

――引退試合で対戦したあと「俺を復帰させるな」と発言していたが?

▼大仁田「本人に直接言いましたけどね。現実社会、大きなものがやめた時にお客さんが入るかという経営的な問題がありましたから、荒井社長と話し合って復帰を決めました。その時、ファンの人たちからワーワー言われましたけど、その中で新生という新しい流れを僕が邪魔するわけにいかないということで単身、新日本にいきました。僕だって荒波だったし。新日本に一人で行くわけですから。お互い人生の中でみんな荒波をかいくぐって生きていくわけで。ただハヤブサ選手がケガした時はFMW全員ショックでしたね。馬場さんが一言言った言葉があります。僕が付き人の時、『大仁田、プロレスラーでトップなんか取るもんじゃねぇぞ、大変だぞ、休めねぇんだ』と。俺、今日もこれから試合なんだよ。ネットでこんなケガして大仁田バカだと言われて。じゃあ聞きますけど、ハヤブサが休んだらそのリングが成立するかといったら成立しなかったわけでしょ。じゃあ大仁田厚が今日のリングにいなかったら成立しない。その重圧の中でケガをした。それにどんな声をかけるんですか。あの時、僕ら声をかけられなかった。だけど誰かがやらなきゃしょうがないですよ。それが宿命なんですよ。新生FMWのエースはハヤブサだったんです。今後、団体を存続していくかは仙台から帰ってこられましたので、後日そういうものに関して何をするか、山近代表と選手全員で話し合って意見を聞いて答えを出したいと思います。今日はありがとうございました」

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