プロレス・格闘技の情報満載!全日本・ノア公式モバイルサイト

9/8【NOAH/玄藩引退に向けて】ノア各選手から引退・玄藩へ“送る言葉"

 いよいよあさって(10日)のノア後楽園大会で引退試合を迎える平柳玄藩。約11年間のレスラー生活にピリオドを打つ“悪童"へ、同じ時を過ごしてきたレフェリー、後輩・先輩レスラーからの送られる感謝と激励の言葉とは――。


--引退・平柳玄藩へ送る言葉--

【中山真一レフェリー】「僕が入社したばかりの時、合宿所に住んでいた人達の顔と名前も一致していない状況の中で一番最初に話しかけてくれたのが平柳さんでした。練習生の大変な時期だったにも関わらず、同じ地元という共通点を知っていてくれてその話題を振ってくれたことを覚えています。最後に『よろしくねー』と優しく言ってくれたことは忘れていません。そして平柳さんがデビューし、その1年後に僕がレフェリーをすることになった時の最初の選手でした。平柳選手がベルト初奪取の時もレフェリーが出来て、嬉しかったです。時に厳しく、時に優しくいろいろなことを教えてもらいました。約11年のレスラー生活お疲れ様でした。引退するのは凄く寂しいですが、平柳さんなら何をしても成功すると思いますので今まで通りの平柳さんで頑張ってください」


【清宮海斗】「平柳さんには試合会場で気さくに話しかけて頂くことがあり、新弟子のときは緊張も和らぎました。新弟子の時は練習を見て頂きありがとうございました。今までの思い出、忘れません。新しい場所でも頑張って下さい。良い報告が平柳さんの耳に届くように僕もノアのリングで頑張ります」


【友寄志郎】「新弟子の時は、誰よりも怖い先輩でした。でもデビューしてから誰よりも優しい先輩でした。『デビューまで来てくれてありがとうな』と言ってくださったことは一生忘れません。平柳さん今まで本当にお疲れ様でした。また会える日を楽しみにしております」


【熊野準】「入門してから、平柳さんには練習をつけていただきました。練習生一人というのもあり、優しかったです。デビューしてからはたまに飲みに誘っていただいたり、染めた髪を『枯れ葉みたい』といじっていただいたり…。自分の初勝利。横浜文体(2015年5月10日)、パートナーは平柳さんでした。平柳さんのアシストからの勝利。平柳さんからしたらただの勝利だと思いますが、自分は凄い今も鮮明に覚えて忘れられない勝利です。そして、タッグにも挑戦しました。奪取できませんでしたが、生え抜きで組めてよかったです。平柳さんの覚悟をしっかりと見ました。最後に、平柳さん11年間お疲れ様でした。引導を僕が渡す形になりましたが、後悔はしてません。平柳さんの覚悟をしっかりと見ました。平柳さんから勝利できてよかったです。違う道に行かれるのは大変だと思いますが、またいつか飲みにいきましょう。僕はまだまだプロレスラーとして上を目指していきます!」


【マサ北宮】「まだ健介オフィスにいた頃、デビュー前の自分に“みっちゃん"というあだ名を命名してくれました。それから何人かの先輩達は自分の事を“みっちゃん"と呼んでくれるようになりノアに移籍した時も自然と選手の輪にとけ込めました。ありがとうございます。最後までつかみどころが無い感は否めなかったけど子煩悩な一面もあり凄く優しい方でした。続けるも退くも男の決断。セカンドキャリアの新たなリスタートを全力で応援しています。たまには会場にも遊びに来て下さいね」


【大原はじめ】「ノア初の試合のパートナーが平柳選手なんですよね。自分にとって初のノア。そこそこ長いキャリアの中で接点のなかったノア。しかも急展開な話で、緊張や不安などあった中、初めて組んだわけです。当時自分はかなりプロレスに対してや人生の迷いがあり精神的に不安定で自信もなく殻に閉じこもっていました。平柳さんは明るく自分に対して初めてでもあまり壁がなく、すんなり受け入れてくれて、ひじょうに助けられたその恩というか、辛かった時に良くしてもらったことが強く心に残っています。もちろん詳細書けないような(笑) 飲み会の席の事や控え室のこと。たくさん笑わせてもらった素敵な思い出があります! 平柳さんプロレスお疲れ様でした。自分にとってノアで今こうして、プロレスができているのも、 平柳さんのおかげである部分が大きいです。自分にとってはノア初のパートナーです。あの頃がなければ今はありません。感謝しています。平柳さんの家族を想う気持ちに共感します。自分は独身だし子供がいるわけではないけど、認知症の祖父母の介護などあり、家が大変な時に巡業先でなにもできない時などひじょうに不安になります。平柳さんの家族を想う、守る気持ち、そして新たな世界で闘う道を選んだ勇気ある決断を尊敬します。またいつの日か、ノアになにかしらで顔も出してほしいです。平柳さんのようなお客さんをどこの会場でも楽しませ笑顔にする選手がいなくなるのは、ひじょうに大打撃です。少しでも平柳さんのようにお客さんを笑顔にできるよう、これからのノアのリングがんばります。平柳さんとご家族のご健康と幸せを願っています。 セカンドライフもムイビエン!」


【拳王】「思い出? 思い出なんかねーに決まってるだろ!(メッセージを)ほんとに何もないけどいろいろよくがんばったな。週プロ読んだときは初めてお前のこと見直したわ。お疲れ様」


【石森太二】「ノアにはないキャラクターで、毎度毎度変わるペイントが楽しみでしたが、対戦するとペイントがコスチュームに付いて洗濯してもなかなか取れないのが悩みでした。色んな思い出がありますが、数年前の大量離脱があった時、残ったメンバーで合宿所でちゃんこを食べていた時に『自分の勝手な都合で辞めんなよ!』と言い放った平柳さんが物凄く力強くて、かっこよかったです。本当、あの時ノアに残って頂いてありがとうございます。当たり前の言葉になってしまいますが、引退後の人生の方が長いのでこれからは、プロレスラーから生命保険の営業マンとして成功して家族と仲良く暮らして下さい」


【小川良成】「(思い出は?)これでキ○タマ握られないですむよ。(メッセージを)第二の人生も頑張ってください」

【齋藤彰俊】「9月10日(土)後楽園で行われる『FINAL祭BAYASHI』が、刻々と迫っており、齋藤自身の中でも、色々な感情がスクランブル交差点の様に入り混じっています。平柳選手の印象は、ほんの少しでも目を離すと、変化が絶えず、それはデビューしてから、レスラーとして進化していき、さらにプロとして覚醒する「変化」の選手でもありました。齋藤が所属という意味で一時期ノアを離れ、再入団をした時、平柳選手にNO MERCYのリーダーとして再会した時の感じは“レスラー"“プロ"それに“責任感"がプラスされた感が印象的だったことを、今でも鮮明に覚えています。目が離せない平柳選手ですが、あと一回、一度だけリングで目にすることができるFINAL…。本当に目が離せなくなりました。平柳玄藩から平柳努に変化するケジメの一戦を、皆さんと共に目に焼き付けたいと思います。平柳選手、プロレスラー、選手としての11年間、本当にお疲れさまでした。この厳しい世界でプロとしてリングに立ち続けたことを糧に、平柳努として更に大きな責任を達成していくことを楽しみにしています。そして、選手会長としての最後の大仕事、選手のあり方のメッセージを、しかと受け止めたいと思います。プロレスラーとして過ごした11年を胸に“引退"ではなく“スキルアップ"として、さらにさらに突き進んでください。お疲れさまでした。そしておめでとうございます」

【モハメド ヨネ】「ゲンバが入門した時から知ってるし、同じユニット組んだ事もあるから、結構飯とか飲みとか行きましたねぇ。バカだけどかわいくて憎めなくて愛される、そんな平柳。あんまり酒飲みすぎんなよ! これからは別の道を進むけど、いつまでも一緒に戦った仲間には変わらないから、なんかあったら教えて欲しいし連絡してきて欲しい。あんまり酒飲みすぎんなよ! 俺も人の事言えないけど」

【クワイエット・ストーム】「私のはじめてノアのホール大会は私とスペル・クレイジー vsげんば、原田。試合の前マイク何言ってるぜんぜん分からないけど『ウデ太い』しか聞こえない。面白いと思うた。Hey genba good luck in whatever you do take care」

【原田大輔】「ゲンバさんとはNO MERCYに入ってからGHCジュニアタッグに2度も挑戦しました。ベルトは取れなかったけど、凄くやり甲斐がありました。NO MERCYに入って巡業先の食事会では2人して先輩に飲み潰される事もあったし、平柳さんの部屋で寝てた事もありました。(平柳さんはトイレで寝てた) 今ではそんな事も良い思い出です。口を開けば人の悪口しか言わないゲンバさんが、営業マンになると聞いた時は何かの間違えとしか思えませんでした。引退したら今後会う事はもうないですが、平柳さんのこれからを応援してます。約11年お疲れ様でした」

【小峠篤司】「誰からも愛される人でした。リング上でもバックステージでも。どこか憎々しいけどみんな笑顔になれるファイトスタイルは、玄藩さんオリジナルなものでリスペクトしてます。引退されてノアの明るさの部分が欠けてしまうのが残念ですが、第2の人生でもまた絶対に人気者になると思います。また落ち着いたらゆっくり飲みにいきましょう! その時にでも玄藩太鼓を伝授してもらおうかな(笑) 本当にお疲れ様でした!!」

【中嶋勝彦】「平柳さんと初めて試合したのはSEMの舞台だったと思います。今では大切な仲間のひとりで巡業先ではお酒を交わしたりと楽しい思い出をありがとうございました。試合で見せる平柳ワールドはノアにとって必要不可欠な存在だったし、仲間が居なくなる寂しさはありますが、第二の人生も平柳さんらしく歩んで下さい! 幸多き未来を。平柳玄藩はこれからも止まらねー!」

【マイバッハ谷口】「平柳さんと過ごした合宿所生活はいろいろな思い出がありすぎて忘れられないです。とくに新弟子への可愛いがり方は忘れられません。自分も後輩ですが、歳が上でよかったと思っていました(笑) つらい事や楽しかった事たくさんの事を一緒に過ごしてきた平柳さんがいなくなるのはとても寂しいですが…。また、時間ある時は合宿所で飲んでいた時みたいに楽しく飲みたいですね!! 平柳さん今まで本当にお疲れ様でした。そして、これからもお酒の飲み過ぎに気をつけ新たな人生、頑張って下さい!!!!」

【潮崎豪】「彼がデビューしてまもない頃にディファでシングルマッチをした思い出があります。15分の時間ぎりぎりまでやったシングルマッチ。先輩としても一レスラーとしても楽しく試合ができた記憶があります。一時期自分がノアを抜けた時期もありましたが、入門から彼を見てきました。決して運動神経が良いわけでもなく、華麗な動きができる選手ではありませんでした。でも、泥臭く試合をする選手になりたいと言っていました。
頑張る気持ちはほかの誰よりもあったように感じます。泥臭いレスラーとはまた違うタイプのレスラーになりましたが、唯一無二のレスラーになったと思います。彼の考えでの引退ですが、次の仕事も彼なりにうまく、そしていい意味でずるく家庭を支えていってほしいです。おつかれさん」

【丸藤正道】「ゲンバと初めて会ったのは高校のレスリングの県大会…らしい。2回試合した…らしい。2試合とも俺が勝った…らしい(負けてなくてよかった) よーーーく思い出したら話をしたような気もする…。遅れて入ってきたゲンバの入門テストを見た。大きくない身体、男前じゃない顔、何が良くて合格になったのか。諦めない心、折れない心、負けたくない気持ち、プロレスラーになりたいという本気の気持ち…人間本気になったらできるもの。諦めた人間が言うんだ。『センスがない』。『向いてない』。『なれるわけがない』。去年から何回か相談受けては引き留め、でも話をしたようにしてあげれなかったことに関しては申し訳ない。あの時の本気の気持ちを持って第2の人生を歩んでください。同い年としてやっぱりなんとなく親近感あったよ。ある意味付き合いは一番長いしね。お疲れ様でした。近所だしまた飲みましょ! ごちそうさまです」

プロ格 情報局