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12/31【WRESTLE-1】カズ25周年記念試合へ「カズ=獅龍」説否定も 「バチバチやり合いたい」 W-1提供・サスケインタビュー

 1・8後楽園大会でのカズ・ハヤシデビュー25周年記念試合で武藤敬司&ウルティモ・ドラゴンとトリオを結成し、近藤修司&ディック東郷と組むカズと対戦するザ・グレート・サスケ。ユニバーサルプロレス、みちのくプロレスで苦楽をともにした後輩の記念試合に名を連ねたサスケは「カズ・ハヤシ=獅龍」説を否定。一方でカズと対戦した2000年のスーパーJカップ1回戦を思い起こしつつ、「25周年ということでお祝い試合にしようというつもりもさらさらないですから。あの時のことを思い出してバチバチとやり合いたい」と意気込んでいる。WRESTLE-1提供のサスケインタビューは以下の通り。

【サスケインタビュー】
──サスケ選手はカズ選手と初めて会った時のことは憶えていらっしゃいますか?

▼サスケ「え〜っと、あれは確か2000年ですね」

──え、2000年?

▼サスケ「はい。2000年の第3回『SUPER J-CUP』ですね」

──みちのくプロレス主催で行なわれた『SUPER J-CUP』ですよね。サスケ選手はその時どのような印象を受けられたんですか?

▼サスケ「あれは仙台でやった1回戦だったと思うんですよね。私が勝ったんだと思うんですけど、非常にアグレッシブな選手で、よく動き回るし、グラウンドレスリングでもしっかり攻めてくるし、なおかつ場外にもガーンと飛んでくるし、凄い選手だなと思いましたよね。まあ、のちに彼の正体が実は獅龍だったと聞いたんですけど、信じられなかったですね」

──あ、そこで初めてカズ選手が獅龍の正体だと知ったわけですか。

▼サスケ「いや、その話を聞いても、どうも同一人物とは思えないような別人のような選手でしたね」

──それだけアメリカやメキシコでガラリと印象を変えてきたということですか?

▼サスケ「う〜ん、私は未だ『カズ・ハヤシ=獅龍』説というのを信じてないんですよ。私の中ではある意味超常現象の一つであり、それを信じていいものかどうか非常に迷っていますね」

──サスケ選手の中で、2人が同一人物だという確証が得られてないということなんですね。

▼サスケ「これはまるでアメリカのニューメキシコ州のロズウェルにUFOが墜落した事件、いわゆるロズウェル事件が真実なのかどうなのかというのと同じぐらい、私にとっては永久的かつ恒久的なテーマですね。永遠の謎と言ってもいいかもしれないです。まさか、その2人が同一人物だったなんてってね、私には未だに信じられない!」

──ロズウェル事件級の謎(笑)。

▼サスケ「私は未だに違うと思っているんですけどね」

──ちなみに獅龍という選手がユニバーサルに入ってきた時のことを憶えていますか?

▼サスケ「鮮明に憶えていますね。非常に謎のベールに包まれた若い選手というイメージでしたね。あんまりプライベートの深い話はしなかったんで。それは現在に至るまでそうなんですけど、彼がどういう生い立ちで、もっと具体的に言うならどこ出身でどの辺に住んでいてっていうのも一切謎でした」

──そこまで謎の男でしたか。

▼サスケ「謎だらけでしたね。まあ練習熱心ではありましたよね。練習熱心でどんな過酷なトレーニングにも音を上げないでついてきてましたから。あとはやはり印象に残っているのは私とグラウンドのスパーリングをやって、根性でもの凄く食らいついてきたっていうことですね。いわゆるガッツのある青年という印象が残ってます」

──そのガッツのある青年の成長した姿がカズ・ハヤシというレスラーに結びつきませんか?

▼サスケ「なかなかそこが交わらないですね。現在に至るまで私の中ではずっと平行線のままなんですよ」

──ちなみに獅龍選手がみちのくプロレスを辞めて海外に行ってしまった時はどのような感情を持ったんですか?

▼サスケ「これは記憶が定かじゃないんですが、彼はディック東郷たちと平成海援隊、そして海援隊☆DXのメンバーとなっていくんですけど、1997年頃だったですかね? TAKAみちのくがWWF(現WWE)と契約して、海援隊のメンバーもあとを追うようにWWFと契約したんですよね」

──でも、獅龍選手だけはメキシコに行って、それからWCWと契約したんですよね。

▼サスケ「ああ、別行動だったんですね。だから、なぜ別行動だったのか? その細かいところをその当時は憶えてないんですよ。ただ、海外に行ってしまったという事実だけが残っていますね。当時は敵対していましたけど、敵対しながらもちょっとした寂しさはありましたよね。ライバルが……当時は完全にライバルでしたからね、獅龍は。ライバルがいなくなってしまったっていう寂しさがあったのを憶えてますね」

──サスケ選手がIWGPジュニア王者だった時代に、ベルトを懸けて闘いましたよね。

▼サスケ「ああ、やりました! よく憶えてらっしゃいますね。1996年に私が初めてIWGPジュニアのベルトを獲った時代に、岩手の矢巾町体育館大会で獅龍と防衛戦をやった記憶がありますよ(1996年7月21日)」

──IWGPは新日本プロレスのタイトルですけど、この試合は唯一のみちのくプロレスの選手同士のIWGP戦だったんですよね。その相手が獅龍選手だったということは、それだけライバルとして実力を買っていた選手だったということですかね?

▼サスケ「完全に互角でしたよ、実力的には。もう記憶が曖昧になってしまったんですが、いろいろな場面でバチバチとやり合ってましたからね」

──なるほど。サスケ選手はこの「獅龍=カズ・ハヤシ」別人説を取られているということなんですけども、カズ選手にとってはターニングポイントとなった選手ということなんですね。そういうことで、デビュー25周年記念試合への参戦が決まりまして、サスケ選手は武藤選手&ウルティモ・ドラゴン選手と組んで、カズ&近藤&ディック東郷組と対戦することになりました。こちらのカードについてはどのような印象を受けましたか?

▼サスケ「本当におもしろいカードを組まれましたね。だから、彼にとって私と校長と武藤さんは師匠という位置づけで、東郷だったり近藤選手だったりっていうのはやはりパートナーという位置づけなんですかね?」

──そんな感じですね。特にサスケ選手とは『SUPER J-CUP』で対戦したことで、日本でも名前を売るきっかけを作ってくれた人ということで、今回対戦したかったということをおっしゃっていましたね。

▼サスケ「ほほう。カード編成は非常に興味深いですし、そうやって指名してくれたことは光栄に思いますけど、25周年ということでお祝い試合にしようというつもりもさらさらないですから。当時を思い出して、あの時のことを思い出してバチバチとやり合いたいと思いますね」

──顔合わせの妙でサスケ選手vs近藤選手とか、普段あまり対戦機会のない人との対戦も面白いだろうとおっしゃっていましたね。

▼サスケ「そうですね。実は近藤選手が全日本プロレス時代だったと思うんですけど、『世界最強タッグ決定リーグ戦』で対戦しているんですよね」

──KENSO選手と組んで出た時ですね。昨年のW-1の横浜文体大会でも対戦されてますよね。

▼サスケ「ああ、そうです、そうです! でも、それほど対戦する機会もないですから、楽しみですね、近藤選手と闘うのは。あとディック東郷も最近は組む機会が多いんで、対戦するのは久しぶりですし、これもまた楽しみですよね。ただ、カズ・ハヤシには、私のことを昔のザ・グレート・サスケだと思ったら大間違いだということは言っておきたいですね。私は今や、ムーの太陽のザ・マスターですから。私の攻撃パターンはさらに多様性を増して、プロレス技だけに留まらないぞ、というところを是非彼にはわかってほしいですね」

──こちらもかつてのグレート・サスケとはまったく別人だということですね。

▼サスケ「そういうことです」

──それではカズ選手に25周年のメッセージをいただけますか?

▼サスケ「まずは25周年おめでとうございます。私の説によるとどう考えても25周年は計算が合わないんですが、それはさておいて、これを機会によりカズ・ハヤシ自身に磨きをかけて、もっともっと強くなってもらいたいし、私自身もまだまだ強くなるつもりでいるので、お互いに永遠のライバルとしてがんばりましょうということを言いたいですね」

──あとカズ選手は現在W-1の社長をやられているんですけど、社長レスラーの先輩として何かアドバイスはありますか?

▼サスケ「まあ私は社長を卒業しちゃったんですけど、そんな私から言えるのは、日本の社長のあり方っていうことにこだわらないでほしいということですね。カズ・ハヤシというのはアメリカ生活を体験している人間ですから、アメリカ式のアメリカナイズされた社長になってほしいですね。これはある意味、私からの謎かけです。この謎を解くためにはリチャード・ギア主演の映画『キング・オブ・マンハッタン』、これを見るように。これを見ると答えが全てあります。これを伝えておいてほしいですね」

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