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1/7【新日本】「海を渡り、プロレスを隅から隅までみてみたい」 KUSHIDAが1月いっぱいで新日本を退団、棚橋との初対決を熱望

 菅林直樹会長が7日、東京・目黒の新日本事務所における会見でKUSHIDAが1月末をもって退団すると発表。会見に臨んだKUSHIDAは「海を渡り、プロレスを隅から隅まで、もっともっと自分の目でみてみたい」と海外マット参戦を理由に挙げ、8年間在籍した新日本所属としてのレスラー人生を全うするべく棚橋弘至との初対決を熱望した。

 KUSHIDAが新日本を去ることになった。2005年9月にメキシコでデビューしたKUSHIDAはハッスル、SMASHを経て、2011年3月に新日本に入団。この8年間でIWGPジュニア王座を6度、同ジュニアタッグ王座を2度戴冠し、スーパージュニア2度の優勝、スーパーJカップ優勝と輝かしい実績を残すなど新日ジュニアのエースとして活躍してきた。

 そんなKUSHIDAが退団を決意した大きな理由は、夢の実現だった。「今回の決断は本当に一つでは言いきれない、いろんな思いがあって決断しました」としたKUSHIDAだが、その中でも一番は「海を渡り、プロレスを隅から隅まで、もっともっと自分の目でみてみたい」との思いだった。

 その夢はしばらくKUSHIDAの中で消えていたというが、相次ぐレスラー仲間の負傷もあって、「プロレスラーとしての命はそう長くないなと。現実問題としてプロレスラーとして活躍できる人生の時間において凄くわずかだなと」と実感する中で「夢がムクムクとまた湧き上がってきた」という。気になる今後については「他の交渉事とか書類にサインをしたりとか、そういうのは全く一切ない」としたが、「世界で活躍したいという希望を叶えられる場所で戦い続けたい」と話し、改めて海外マット進出を示唆した。

 会見中、後方で見守っていた棚橋から「新日本プロレスで楽しかったこととつらかったこと、何かあれば教えてください」との質問が飛んだ。KUSHIDAにとって棚橋は「凄く影響を受けた先輩」の一人。思わず涙ぐんだKUSHIDAは「つらかったことはないです」と言い切ると、「やっと新日本プロレスに入ってプロレスで十分に飯が食えるようになって、安堵する自分がいて、よきライバルにも恵まれ、たくさんのシングルマッチ、たくさんのタイトルマッチ。自分の中では一生懸命頑張りました。作品を残せたと思っております」と8年間を総括。「巡業バスに乗ると座席が隣が棚橋さんなんですけど、そうやって仲間と……仲間と人生の旅をできることが凄く楽しかったです」と言葉に詰まりながらも質問に答えた。

 退団が決まったKUSHIDAだが、1月31日までは新日本の一員。1・30仙台大会が所属としてのラストマッチとなる可能性が高い。「自分で選んだ道ですので、後悔、悔いなど全くないです」と話したKUSHIDAは、「やり残したことがもしあるとするならば、1ヵ月、新日本のレスラーとして1月31日までこのプロレスラーとしての命を全うするという意味で」と対戦経験のない棚橋との初対決を熱望していた。

【会見の模様】
▼菅林会長「本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。私より本日3点発表させていただきます。まず飯伏幸太選手に関しまして、1月4日、東京ドーム大会でのオスプレイ戦において負った脳震とうにより次期シリーズを欠場いたします。また復帰時期は未定となります。2つ目ですが、飯塚高史選手がこのたび引退することになりました。つきましては2月21日、後楽園ホール大会『NEW JAPAN ROAD』飯塚高史引退記念興行として開催いたします。最後に3つ目ですが、KUSHIDA選手が1月末をもって契約満了となりました。以上です」

▼KUSHIDA「先ほど菅林さんから発表がありました通り、1月末をもって新日本プロレスを退団します、この選択、決断に関しまして、木谷さん、そしてメイさん、菅林さん、本当に懐の深さ、器のでかさを本当に感じまして、僕の人生の選択に理解していただきました。本当にありがとうございました。今後につきましては海を渡り、プロレスを隅から隅まで、もっともっと自分の目でみてみたいと。知ったかぶりとか、見て見ぬふりじゃなくて、この目でみてきたいなと思っております。8年という時間をこの新日本プロレスで過ごしてきました。会社の人、最初にこの会社に来た時に社員の数にビックリしました。この会社が僕をプロレスラーにさせてくれました。そして何よりお客さんですね。お客さんがホントに温かい言葉も厳しい言葉もかけてくださることによって、今このプロレスラーKUSHIDAが形成されてると思っております。本当に感謝しております。ありがとうございました。本当にプロレスの興行にはいろんな人が携わっていて、リングスタッフの方々、お客さん、そして控室のレスラーたち、ライバルたち。本当にいろんな要素が重なり合って僕を成長させてくれました。今回の決断は本当に一つでは言いきれない、いろんな思いがあって決断しました。あとは質疑応答しながら自分の気持ちをお伝えできたらなと思います」

――新日ジュニアの向上を目的にしてきたが、スーパージュニア決勝戦の両国開催が決まったことについて?

▼KUSHIDA「今年ようやく両国国技館で決勝戦ができるということを聞いた時は本当に率直な感想としてめちゃめちゃうれしかったです。数年前、スーパージュニアを優勝して『明るい未来に連れて行きます』と僕は言いました。この両国国技館になることだけが明るい未来だとは言いませんし、僕一人が、このまま新日本プロレスで戦っていく立場の人間であれば、俺が両国まで連れてったんだぞと言うかもしれませんですけど、今の率直な気持ちをいわせていただくと、今こんだけジュニアが上がってきたのはいろんな選手の頑張り、盛り上がり、ジュニアへの思い、これが形になって会社が動いた結果だと思います。それは本当にうれしいです。もう一つ思ったのが、その明るい未来に連れて行きますと言った明るい未来に、言った張本人が舞台に立って優勝したいというのは僕の趣味じゃないなと。ただ、これ勘違いしてほしくないのが、これが理由で今回の決断に至ったわけではないということですね。両国国技館ということを聞いて、そう思いました。絶対大丈夫だと思います、新日本プロレスジュニアは」

――いろんな思いの中で一番背中を押した要因と、海を渡るというのを具体的に?

▼KUSHIDA「1月末まで新日本プロレスの契約選手ですので、他の交渉事とか書類にサインをしたりとか、そういうのは全く一切ないんですけど、昔からの夢ですね。世界で活躍したいという希望を叶えられる活躍の場所で戦い続けたいなと思っております。この決断に至った、背中を押されたというかですね。さっき昔からの夢と言いましたけど、やっと新日本プロレスに入ってプロレスで十分に飯が食えるようになって、安堵する自分がいて、よきライバルにも恵まれ、たくさんのシングルマッチ、たくさんのタイトルマッチ。自分の中では一生懸命頑張りました。作品を残せたと思っております。数年前ですかね。この夢は完全に僕の中ではなくなってました。ですが、スーパージュニアを2度優勝して、ベルトを何度か巻きまして、去年一年ですね、ベルトがない状態でさてどうなるかなと思った時にヤングライオンと一緒に試合をする機会だったり、試合前にプロレスを教えるというよりは一緒に学ぶ。自分が経験してきたプロレスを伝えるという部分で、そういう役割がちょっとずつ増えてきたと。そんな中でですね、ムクムクと…今年36になります。プロレスラーとしての命はそう長くないなということを2年前ですかね。ベルトを二つ巻かせてもらった時期があります。ROHと新日本。日本とアメリカを行き来する中で、あとは仲間のケガ。そんなに明日は長くないぞと。キャリアを重ねて活躍する方もいらっしゃいますし、他のレスラーと比べちゃうと甘いこと言ってんじゃねぇよと思われるかもしれませんけど、現実問題としてプロレスラーとして活躍できる人生の時間において凄くわずかだなということを凄く実感しまして、夢がムクムクとまた湧き上がってきたなというのが正直な本音です。具体的に言うと去年、ロス道場、柴田さんのところにセミナーで自分から志願して行きまして。柴田さんがケガした状況もわかってるし、柴田さんの生き方とか、そういうのを含めて、プロレスを教えるってとても難しいことだなとその時思いました。分厚い本を読むように凄く難しいんですね。隅から隅まで読みたいなと思うタチなので、プロレスに対する探究心がそこでまた刺激されたというのと、プロレスを教える、次の世代に伝えるという部分で、じゃあ自分に何ができるんだろうって思ったんですね。柴田さんだったり、ライガーさんだったり、真壁さんだったり、身近には新日本プロレスの道場を次の世代に伝えていく、雰囲気を技術を空気を伝えられる先輩がいる中で、じゃあ自分に何ができるんだろうと思った時に、自分のパーソナリティというかアイデンティティはいろんな道場を経て新日本プロレスにたどりついたところなんですね。自分を原点に返らせてくれたロス道場だったんですけど、凄くあそこはポイントになりましたね」

▼棚橋「新日本プロレスで楽しかったこととつらかったこと、何かあれば教えてください」

▼KUSHIDA「つらかったことはないです。やっぱ僕は……棚橋さんずるいですね。僕はプロレスが大好きなので、プロレスで生活ができない、飯が食えないのがつらいことなので、それをゼロベースで考えると、こんなにも最高な環境で、こんなにも最高のお客さんがいて、ホントにプロレスラーとしてめちゃめちゃ充実してた8年間でした。楽しかったことは巡業バスに乗ると座席が隣が棚橋さんなんですけど、そうやって仲間と……仲間と人生の旅をできることが凄く楽しかったです。自分では何で涙が出てくるのかわからないんですけど、自分で選んだ道ですので、後悔、悔いなど全くないです。何か矛盾してる涙なんで、わかんないですけど、とにかく楽しくて最高だったから今、泣いてるんだと思います」

▼棚橋「ありがとうございました」

――悔いはないとのことだが、やり残したことはある?

▼KUSHIDA「やり残したことがもしあるとするならば、1ヵ月、新日本のレスラーとして1月31日までこのプロレスラーとしての命を全うするという意味では、この8年間、凄く影響を受けた先輩というのがいて、ライガーさん、棚橋さん、柴田さん、真壁さん、そしてタイガー服部さんですかね。全員プロレスをめちゃくちゃエンジョイしてるんですよね。そういう先輩方の姿を見て。あとはチケット一枚売る大変さ、新しいプロレスファンを一人作る大変さ、貪欲さ、丁寧さ。そういうところを僕は先輩方に学んでかっこいいな、でかいな、追いつきたいなと思ってました。この挙げた先輩の中で唯一、肌を合わせていない先輩がいるとするならば、棚橋さんだけになります。おこがましいですけど、そういうふうになります」

――8年間で一番印象に残っている試合を一つ挙げるとしたら?

▼KUSHIDA「そうですね。福岡国際センターでIWGPジュニアヘビー級選手権試合をやった獣神サンダー・ライガー戦です」

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