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3/7【新日本】東京ドームでのデビューから30年 ライガーが2020年1月・東京ドーム大会での引退を発表

 獣神サンダー・ライガーが7日、東京・目黒の新日本事務所で会見し、2020年1月の東京ドーム大会での現役引退を発表。89年4月にデビュー戦を行った東京ドームでリングを去ることになった獣神は「30年間、ライガーとして全国の皆さんに応援していただきました。ある意味、引退ツアーではないですけど、回れる限りのところを回って皆さんに最後の姿を見ていただければ」と引退ロードを見据え、「やめんなら俺、ライガーとやりてぇよっていう人がいたら手を挙げてほしい」と対戦相手を募る意向も示した。

 新日ジュニアの象徴として長らく活躍してきたライガーが引退を決意した。89年4月24日、東京ドームでデビューしている獣神にとって今年は30周年記念イヤー。前日の3・6大田区大会では2年10ヵ月ぶりにIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。王者・石森太二に敗れ、12度目の戴冠はならなかったものの“獣神健在"を印象づけた。

 だが、当の本人の頭にあったのはレスラー人生の幕引きだった。「今まで培ってきたテクニックなり、何なりはいくらでも活かせるとは思うんですけど、伸びしろというところではこれ以上は自分自身ない」というのが一番の理由。若手時代にアントニオ猪木、山本小鉄、藤原喜明から「レスラーは強くなきゃいけない」との教えを叩き込まれたが、「ここ最近、あっちが痛いこっちが痛い、疲れが取れないな。そういうこと考えながらリングに上がるようになって。ちょっとズレが出てきたなというのがあったので、そろそろかなという感じはありました」と引退の2文字がちらつくようになり、「僕の中でレスラーに対する美学というか、プロレスラーとは、というのがありまして、まだやってたのって言われてやめるよりも、まだできるのに何でやめるのって言われてやめてった方が僕の中でレスラーらしい」とリングを去る決意を固めた。

 引退の舞台は史上初の2連戦で開催される2020年1月の東京ドーム大会。獣神生誕の地で約30年間のレスラー人生に終止符を打つことになったライガーは「東京ドームでデビューして、平成元年に。平成が終わるとともに東京ドームで引退。かっこよくねぇ? かっこいいやろ。これしかないなと僕は思いました」と最高の舞台を用意してくれた新日本に感謝した。

 引退まであと10ヵ月。ライガーは「30年間、ライガーとして全国の皆さんに応援していただきました。ある意味、引退ツアーではないですけど、回れる限りのところを回って皆さんに最後の姿を見ていただければ」とこれから始まる引退ロードを見据えている。その中で「プロレスを楽しみたいなと。だから相手が誰であれ楽しみたいなと思うので、特にこの人とやりたいとか、どうのこうのはない」と残されたプロレス人生を満喫するつもりで、「逆にやめんなら俺、ライガーとやりてぇよっていう人がいたら手を挙げてほしいですね」と対戦相手を募る意向を示した。会見中に記者を通じて欠場中の高橋ヒロムから「今、欠場中なんですけど、自分がライガーさんとやりたいです。伝えてください」とのメッセージが届き、ライガーも「復帰してから改めてもし僕と戦ってもいいよってヒロム選手が言うのであれば、もちろん戦いたいし、シングルでやりたい」と呼応。「それより早くケガを治してくださいってことですね。早くリングに復帰してもらいたい」とエールを送った。

 「十分楽しんだ。こんな幸せなプロレス人生ないんじゃないかって本当に今感じてます。やり残したことないですね」というライガーだが、唯一残された夢がある。ニューヨークの殿堂マディソン・スクエア・ガーデン登場だ。78年1月に藤波辰巳(現・辰爾)が同所でカルロス・ホセ・エストラーダをドラゴンスープレックスホールドで破り、WWWFジュニアヘビー級王座を奪取。この一戦をみて、「かっこいいな、俺もプロレスラーになりたい」との思いを抱いたライガーは「原点中の原点なんで、そのMSGというのは一度でいいから上がってみたい」と4・6MSG大会出場を熱望した。

 ライガーの引退によって一つの時代が終わりを告げるが、当の本人に感傷ムードはなし。会見中は時折、笑顔もみられた。ライガーは残された10ヵ月でプロレスを思う存分楽しみ、素顔時代も含めれば約36年に及ぶプロレスラー人生を全うする。

【会見の模様】
▼ライガー「皆様、本日はお忙しい中、またお足元の悪い中、お集まりいただきましてありがとうございます。それからネット中継ご覧の皆様、新日本プロレスのライガーです。獣神サンダー・ライガーは来年1月の東京ドーム大会で引退いたします。以上。おしまい(笑)」

――昨日の石森戦が大きな契機になった? それとも前々から考えていた?

▼ライガー「あの試合を通してですね、やはり自分はもう伸びしろがないなと。今まで培ってきたテクニックなり、何なりはいくらでも活かせるとは思うんですけど、伸びしろというところではこれ以上は自分自身ないなと試合やってて感じましたし。やはり石森選手の若さであったり、いろんな試合の中での動き、それはたぶん対戦した相手じゃないとわからないような微妙な部分だと思うんですけど、それを感じ取ることができました。ぶっちゃけベルトを獲っても引退を発表しようかなと。勝ち逃げみたいなことを考えてましたし。僕の中でレスラーに対する美学というか、プロレスラーとは、というのがありまして、まだやってたのって言われてやめるよりも、まだできるのに何でやめるのって言われてやめてった方が僕の中でね、レスラーらしいなと思いまして、引退を決意いたしました」

――いつ頃から引退を意識していた?

▼ライガー「そうですね。やはりここ最近、もちろん練習しますし、試合も出場させていただいてましたけど、若い頃、やはりリングに向かう時に相手をぶっ潰してやるっていう、それぐらいの気持ちで常に上がってましたけど、ここ最近、あっちが痛いこっちが痛い、疲れが取れないな。そういうこと考えながらリングに上がるようになって。僕の中でレスラーは強くなきゃいけない。それは山本小鉄さんや猪木さんや藤原さんとかによく言われました。レスラーは強くなきゃいけない。僕もそうだと思ってるので、ちょっとズレが出てきたなと。自分の中でね。というのがあったので、そろそろかなという感じはありました」

――会社に打診したのはいつ頃?

▼ライガー「打診というわけじゃないけど、毎年、新日本プロレスは契約の更新が1年に1回ありますけど、その時にそういう自分の気持ちを伝えることはありました。今回も会見をさせていただくにあたって、会社ともいろいろ話し合いをさせていただいて、自分自身納得いくこととなったので、会見を開かさせていただきました」

――デビューも東京ドームで、引退試合も東京ドームというのはこだわり?

▼ライガー「そこなんです。こだわりじゃなく、会社の方から東京ドームといわれて、ウソー?と思って。凄ぇいい舞台。だって今まで猪木さんしかないんだよ」

――長州さんも東京ドームで引退しているが?

▼ライガー「3人目か。そうか。でも復帰してる。僕、復帰ないから。猪木さんも復帰されてないしね。そういう意味では本当に引退。で、東京ドームでデビューして、平成元年に。平成が終わるとともに東京ドームで引退。かっこよくねぇ? かっこいいやろ。これしかないなと僕は思いましたから。逆に媚を売るわけじゃないですけど、新日本プロレスにありがたいなと思ってます。そういう場所を提供してあげるよって言ってくれた新日本プロレスには感謝してます。よく引退会見みてると、みんな泣いたりとかね、体力の限界ですとかって言うけど、1年弱あるからね。実感という実感が自分の中にないんですけど、ケジメというか気持ちの上では整理できたんで、あと10ヵ月ぐらいありますけど、今日こういうふうに会見をさせていただきました。じゃああと10ヵ月どうするんだと言われるかもしれません。30年間、ライガーとして全国の皆さんに応援していただきました。ある意味、引退ツアーではないですけど、回れる限りのところを回って皆さんに最後の姿を見ていただければと思うし、声援を送っていただければと思ってますね」

――やり残したことはある?

▼ライガー「やり残しですか? やり残しはないですね。ホントに好きなことやらせていただきました。新日本プロレスには。ファンの皆さんにそれを支持していただいたり、支えていただいたり、こんな幸せなプロレス人生ないんじゃないかって本当に今感じてます。やり残したことないですね。昔というか、天龍さんが引退する時は『腹いっぱいになってもうプロレスはいいよってやめた方がサッパリするし、あとあとまた復帰してどうのってないと思うよと。そういうのみっともないと思わないか』って言われたことがあるんですよ。その時は確かにそうだなと思った。でもね、腹八分がちょうどいいって。腹いっぱいで苦しいよって、体あちこちボロがきて動かないよってなるよりも、八分目でやめて、そのあとにまた一生懸命頑張る。それでいいんじゃないかなと思ったので、今日ここに座ってるんですけど。だからやり残したこと何もないんですよね」

――引退までにやっておきたいことは?

▼ライガー「日本隅々まで行きたいですね。で、子供の頃からライガーさんみてました、ライガーさんをみてプロレスファンになりましたって、そう言ってくれるファンの方もいますし、ここ最近プロレスを見始めてライガーさんのファンになりました。そういう全ての人たちにあいさつしなきゃいけない。あいさつってかしこまった形じゃなく試合を観ていただいて、試合が終わったら勝っても負けても頭を下げてリングを降りていく。それをみていただければ」

――アメリカ、メキシコにもファンがたくさんいると思うが?

▼ライガー「このあと明日から新日本プロレスのNEW JAPAN CUPが始まりますけど、僕、海外遠征があります。アイルランドのダブリンに約1週間遠征があって、NEW JAPAN CUPは休みますけど、そういうふうに海外決まってるところがありますし、日本の中での他団体も決まってるところがあるんで。いろんな例えばウチの団体じゃないところに集まってくれるファンの皆さんもいらっしゃるじゃないですか。そういう方たちにもライガーをみていただければと思います」

――4・6MSG大会もあるが?

▼ライガー「出してほしいですね。引退するんだから出してよ。そやろ? だから本当にプロレスラーになるきっかけが藤波辰爾さんがマジソン・スクエア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダからジュニアヘビー級のチャンピオンを奪って、それを見てかっこいいな、俺もプロレスラーになりたいと思ったのが始めだった。原点中の原点なんで、そのMSGというのは一度でいいから上がってみたいですよね。取り壊されるんですよね? 建て直し? そんな話をちらっと聞いたので、僕が子供の頃に見てたマジソン・スクエア・ガーデンは今しか上がることができない。上げてほしいよね。上がりたい。上がりたいです」

――引退後のイメージは?

▼ライガー「そういうのもある程度、会社とも話しました。あぁ、そういう感じのことね、みたいなことを言われて、これから会社と話し合いをもって進めていくことになると思いますけど、それはそれで決まり次第。まだ10ヵ月あるから。10ヵ月レスラーだから。頼むよ」

――戦いたい相手、組みたい相手など、対戦カードに関する希望は?

▼ライガー「ないですね。僕が普段言ってることと矛盾するかもしれないけど、プロレスを楽しみたいというか。もうベルト挑戦どうのはないと思うし、タイトル挑戦する前にテッペンを狙うから新日本プロレスなんだよと。テッペンとはベルトでしょ。そういうのがないのに何でお前はリングに上がるんだと。さっき言ったファンの皆さんにあいさつしたいし、ぶっちゃけプロレスを楽しみたいなと。だから相手が誰であれ楽しみたいなと思うので、特にこの人とやりたいとか、どうのこうのはないですね。逆にやめんなら俺、ライガーとやりてぇよっていう人がいたら手を挙げてほしいですね。これでいいよって誰もいなかったら凄ぇ寂しいけどね。みんな募ってよ。お願いしますよ」

――ライガーとして新日本、プロレス界にいろんなものを残せたという手応えはある?

▼ライガー「結局、僕が楽しみたかっただけですからね。J-CU-にしろ何にしろ。十分楽しんだんで。そこでどうのこうのはないですね。自分が開発した技とか今プロレス界でよく使われたりしてますけど、あえてこれ俺が開発したんだよと言うつもりもないし。使ってもらえれば使ってもらえればいいし、プロレスがどんどん大きくなってくれればいいし。僕は十分かな。あと10ヵ月ありますけど、レスラーになったという満足感があるので、特にどうのこうのはないですね」

――一番の思い出は?

▼ライガー「やっぱり佐野(拓真)さんですね。あの人がいなかったら今の獣神サンダー・ライガーはないと言っても過言ではないぐらい存在感の大きい人でした。対戦相手でいえば佐野直喜(本名)さんですね。僕が入った頃は新日本プロレス黄金時代と言われて、藤原さんにコーチしていただいて、猪木さんにいろんな精神面を教えていただいて、山本さんに社会人のルールを教えていただいて、前田さん、高田さんにプロレスラーはどうやって遊べばいいのか教えていただいて。で、同期の佐野さんがいて、本当に凄い時代だったなと思います。その中でお世話になった方々たくさんいらっしゃいますけど、こと試合で言わせていただければ佐野直喜さん一人ですね。対戦相手に恵まれたと思いますけどね。あの当時ガイジンも含め凄い選手ばかりでしたからね。今もそうですけど」

――高橋ヒロムから、「今、欠場中なんですけど、自分がライガーさんとやりたいです。伝えてください」とのLINEが届いたが?

▼ライガー「仲間内じゃあなぁ。あんまり意味なくねぇか? それより早くケガを治してくださいってことですね。やはりレスラーはリングに立ってナンボだから。復帰してから改めてもし僕と戦ってもいいよってヒロム選手が言うのであれば、もちろん戦いたいし、シングルでやりたいと思います。ただ、これはレスラーもファンの皆さんもそうだと思いますけど、ヒロム選手、早くリングに復帰してもらいたいなと思ってる。まずそこが最初じゃないかなと思います」

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