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6/4【全日本】「ずっと見てきたのは僕だけだと思うんでつらい」 青木さん急逝に秋山社長沈痛も「彼の遺志も受け継いでいく」

 青木篤志さんの急逝を受けて、秋山準社長が4日、神奈川・横浜市の全日本事務所で会見。涙ながらに「またベルト巻いてもう一回盛り上げてくれると思ったんですけどね」と無念そうに話した秋山社長は「あいつもそう思ってくれてたと思うんで。彼の遺志も受け継いでいきたいなと思ってます。いかないといけないなと思ってます」と全日本のさらなる発展を誓った。

 世界ジュニアヘビー級王者・青木さんは今月3日午後10時半頃、東京千代田区北の丸公園の首都高速道路をバイクで走行中のトンネル内でカーブを曲がりきれず壁に激突して転倒。都内の病院に搬送されたものの帰らぬ人となってしまった。

 この日、秋山社長が急きょ会見を行った。沈痛な面持ちで報道陣の前に現れた秋山社長は、改めて青木さんの急死を報告。「葬儀、告別式はご家族も動揺されていますので、相談してお知らせしたいと思います」とした。

 青木さんが交通事故にあったのを知ったのは4日深夜12時過ぎのこと。すぐに青木さんが搬送された病院に駆けつけたものの、到着した時はすでに亡くなっていたという。秋山社長にとって青木さんは身近な存在の一人。ノア時代の付き人で、2012年12月にノアを退団し、翌2013年1月から全日本に参戦するようになった時も青木さんは行動をともにした。そして2014年7月にともに全日本所属となり、秋山が社長に就任し、今に至るまで一緒に全日本を支えてきた。

 そんな青木さんとの突然の別れが訪れ、秋山社長は「全く受け入れられないというか、そんな感じです」と悲しみに暮れるしかない。「あいつ僕と似てるところがある」と感じる一方で、「ピンチの時は本当に助けてくれましたね」と振り返ったように、ここぞという時に頼れる男だった。4月のチャンピオン・カーニバルに緊急出場したのその代表例といえる。

 青木さんは5・20後楽園大会で4度目の世界ジュニアヘビー級王座戴冠を果たしたばかり。6・18後楽園大会で佐藤光留との初防衛戦を控える中での悲報となった。「たぶん今、あいつがデビューしてからずっと見てきたのは僕だけだと思うんで。つらいですね」と肩を落とした秋山社長は、「またベルト巻いてもう一回盛り上げてくれると思ったんですけどね」と無念そうに話した。

 会見中は涙をこらえきれず、言葉に詰まり、涙を拭った秋山社長。今後については「お父さんもお母さんもかなり動揺されているんで、そんなことが考えられない状況だと思うんで。ご家族と相談して決めたいと思います」との意向を示した。全日本を今以上に発展させていくことが青木さんへの一番の供養。秋山社長は「あいつもそう思ってくれてたと思うんで。彼の遺志も受け継いでいきたいなと思ってます。いかないといけないなと思ってます」と声を震わせながらも誓った。

【会見の模様】
▼秋山社長「お忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。弊社所属選手であります青木篤志が昨日夜、交通事故のために永眠いたしました。ファンの皆様には多大なご支援、ご声援、本人に代わり感謝します。葬儀、告別式はご家族も動揺されていますので、相談してお知らせしたいと思います」

――訃報を知ったのはいつ頃?

▼秋山社長「昨日、ウチの広報の福田の方に警察から連絡がありまして、僕に連絡があったのが12時過ぎ、4分、5分過ぎです。原因も聞いたんで、すぐに(病院へ)駆けつけたんですけど、最初は福田もそうですけど、僕も事故にあったということを聞いただけだったので、本当に行くまでに亡くなったとは全然、思わずに行って…」

――青木さんが亡くなったのを知った時はどんな心境だった?

▼秋山社長「僕が一番最初に着いたんですけど……全く受け入れられないというか、そんな感じです」

――全日本、秋山社長にとって大きな損失になると思うが?

▼秋山社長「そうですね。ちょっとしっかりしないといけないと思って。過去のことは全然、頭に入れずに今まで本当にきたんで、待ってる時にいろいろ……たぶん今、あいつがデビューしてからずっと見てきたのは僕だけだと思うんで。つらいですね」

――秋山社長にとって青木さんはどんな存在だった?

▼秋山社長「あいつ僕と似てるところがあって、寡黙なところもあるし、急にしゃべり出すこともあるし、たぶんいろんなことに腹も立ってることもあるだろうし。それも含めて俺に似てるなと思ったこともあったし……ピンチの時は本当に助けてくれましたね」

――4月のチャンピオン・カーニバルのように、いざとなった時に頼りになる存在だったと?

▼秋山社長「はい」

――状況をどのように聞いた?

▼秋山社長「聞いてはいますけど、ご家族のご意向もありますので、僕の口からはすみません」

――最後に青木さんと話したのは?

▼秋山社長「(6・2)神戸大会です」

――青木さんとの一番の思い出は?

▼秋山社長「付き人だったんで、僕の付き人をしてくれてたんで、それはいろいろありましたよ。二人で話すことも若い頃は多かったし。前の団体を出るのも一緒でしたし、全日本に来るのも一緒でしたし、あいつは残ってくれたし。またベルト巻いてもう一回盛り上げてくれると思ったんですけどね」

――選手たちにはどのような言葉を? また今月15日からシリーズが始まるが?

▼秋山社長「そうですね。でも昨日の今日なんでアレですけど、ファンの皆さんの前に元気で明るく立たないといけないと思うんで、そこはしっかり切り替えていかないといけないなと思いますけど。ちょっとしばらくは青木のことを考えて……」

――全日本として青木さんとのお別れの場を設けることは考えている?

▼秋山社長「それ含めご家族の方と相談して決めたいと思います。やっぱりお父さんもお母さんもかなり動揺されているんで、そんなことが考えられない状況だと思うんで。ご家族と相談して決めたいと思います」

――全日本を発展させることが青木さんへの一番の供養になると思うが?

▼秋山社長「あいつもそう思ってくれてたと思うんで。彼の遺志も受け継いでいきたいなと思ってます。いかないといけないなと思ってます」

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