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12/3【リアルジャパン】12・5後楽園でリアルジャパン初参戦&約2年ぶりプロレス復帰 リアルジャパン提供・澤田敦士インタビュー

 12・5後楽園大会でリアルジャパン初参戦を果たす澤田敦士は、元グラップリング世界王者のタカ・クノウと柔道ジャケットマッチで対決する。11月17日に千葉・我孫子市会議員選挙に当選し、市議2期目に突入した澤田はこれが2年2ヵ月ぶりのプロレス復帰。「約2年ぶりのプロレス復活のリングは、猪木会長の遺伝子を受け継がれている佐山先生の団体しかない」と自ら直訴して実現するリアルジャパン参戦で「とにかく今の自分を見ていただきたい。ここからスタートするのか? これが終わりになるのか? それはわかりませんが。澤田敦士をよろしくお願いしますと伝えたい」とプロレスラーとしての再出発を図るつもり。と同時に“売名王”の異名にふさわしく我孫子市の存在を広くアピールする構えをみせている。リアルジャパン提供の澤田インタビューは以下の通り。

【澤田インタビュー】
――久々に出席したプロレスの記者会見、対戦相手のタカ・クノウ選手と並んでの会見となりましたが、柔道着の着用を保留して新間寿さんに叱責されたり、クノウ選手との記念撮影を一旦拒絶したりと、澤田さんらしさが出ていましたよ。クノウ選手とはデビュー1年目の2008年6月、IGF月寒ドーム大会で対戦し、腕ひしぎ逆十字固めで敗れています。どんなイメージを持っていますか?

▼澤田「暗いよね。地味だよね。技術はあるんだろうけども。(偶然、横を通りかかったリアルジャパンの間下隼人にいきなり話しかけて)タカさん暗いよね? ホラ、間下選手も同じことを言ってますよ」

――間下選手が困ってますよ(笑)。クノウ選手はグラップリング世界一の称号を持っていますし、プロレスにも順応していますが、技術面についてはどう評価しています?

▼澤田「よく見たことないんですよ。1回やったことあるのも10年前ぐらいですから。その時は僕も若くて、小僧みたいなもんだったんで。まあ、強いなと思いましたけど。いくら2年間のブランクがあると言ったって、僕もその分、味が出てきているのかなと思うから。そこは大丈夫じゃないかな。とにかくタカ選手のことはよくわかりません」

――今回がリアルジャパン初参戦となりますが、このリングにどんな印象がありますか?

▼澤田「リアルジャパンと言えば、佐山先生(初代タイガーマスク)っていう感じですね。佐山先生のイメージしかないです」

――澤田選手からの直訴で今回の出場が決まったそうですが、なぜ2年ぶりの試合をリアルジャパンでと考えたのでしょう。

▼澤田「約2年ぶりのプロレス復活のリングは、猪木会長の遺伝子を受け継がれている佐山先生の団体しかないと直感したので。この大会に出るということが、神からのお達しだと。基本的に僕は直感で生きているんで。こんな状況で僕の参戦をOKしてくれた新間会長、佐山先生、平井代表には心より御礼を申し上げたいです。あと、相手のタカ選手にも。どういう選手かはさだかではないけれど、みんなから『ブランクがある』と言われるような人間との対戦を受けてくれて、感謝しています」

――ただ、会見中には「ファイターとして勢いのあった選手だけど、そこが錆び付いていないかどうか」「もし怪我をされた場合、次の日以降の公務に差し支えがないか」などクノウ選手からは挑発的な言葉が飛び出しました。

▼澤田「感謝しているのは嘘じゃないですけど、タカ選手はクソ食らえなことを言ってますよね。『お前は大丈夫なのか?』と。試合に出てればいいってもんじゃないんだよって」

――図らずも澤田さんと同時にIGFで活躍していた藤田選手、鈴木秀樹選手、将軍岡本選手が同じリングに上がります。かつての仲間・ライバルたちを意識しますか?

▼澤田「見てないからわからないんですよ。彼らの試合も本当に見てないので」

――澤田さんは2015年11月に我孫子市議会議員に初当選されましたが、それ以降、コンスタントに試合ができずに、厳しい戦いが続いていたと思うんです。プロレスと政治を両立する難しさを感じましたか?

▼澤田「確かに難しさは感じました。プロレスもやりたいし、もちろん政治(活動)を疎かにできない。プロレスのオファーがあっても会期中だったりして、お断りすることもありました」

――当選直後の大晦日には、藤田和之選手と対戦。KO負けを喫して救急車送りにされ、左眼窩底骨折、鼻骨骨折の大怪我を負ったこともありましたね。

▼澤田「選挙直後に両国でね。練習もできずに戦って、病院送りにされて。あそこで、プロレスの厳しさというのを痛感したかな。今回も選挙で当選してすぐですからね……」

――藤田戦から9ヵ月経った2016年9月のIGF東京ドームシティホール大会ではモンターニャ・シウバと激突。復帰戦を勝利で飾ったものの、試合後の乱闘で担架送りにされました。試合後、「昔の貯金でやっているようなもんだ」と発言し、進退問題まで言及していましたね。時間が経ったことで、あの頃から気持ちもだいぶ変化しましたか?

▼澤田「やっぱり中途半端にプロレスも政治もできませんからね。ただ、今回は一段落ついて。正直言うと、プロレスに専念していた頃に比べたら、練習量は減ってますよ。でも、その中で自分がどこまでできるのか。今、プロレス界がどういう状況なのかを体験できればなって思ってます」

――ただ、我孫子市民には「プロレスをやるなら応援したい」という方もいれば、「政治に集中しろ」という方もいらっしゃると思うんです。

▼澤田「賛否両論ありますよ、それは。『プロレスラーに政治ができるのか?』って声も挙がってますしね。今回、2期目の選挙にも『プロレス』という名前を使っていましたし。『プロレスラーに何ができるの? あんた、1期目で何をやったの?』という声もあったんです。ただ、僕も自分の持っているパイプでいろんなことをやってきました。プロレスや柔道で培ったパイプを我孫子市に活かしましたから。柔道のキューバ代表選手団を我孫子に招待しましたけど、中にはオリンピックの金メダリストもいましたし、スポーツを通じた政策も訴えてきて、ちゃんとやってきていますから。プロレスに反対している人に関してはそれ以上言えることはないです。僕は僕の生き方でやっていければと思っています」

――会見中も会見後も我孫子市を必死にPRされていましたが、根っこには「我孫子市のために」という気持ちがありますか?

▼澤田「もちろんです。我孫子市は住みやすい都市ですが、まだ告知が行き届いていない部分も感じています。32年間連続待機児童ゼロ! 子育てがしやすい街なんです。子供医療費も助成があって、高校3年生まで負担額が200円なんですけど、それも延伸していくと。そういうこともPRしていきたいですね」

――最近、Twitterで「かつてインディープロレスをバカにしていた自分がいた。しかし、魅力ある選手はいっぱいいる事が分かった!」とつぶやいていましたが、なぜそう感じたんでしょう?

▼澤田「いっぱいいるんですね、プロレスラーって。僕もプロレスから離れていたからよくわからないですけど、たまたま映像で見る機会があって、魅力ある選手がいっぱいいるんだなって改めて感じて。インディーもメジャーもないんですよ。新日本だろうが、WWEだろうが、プロレスはプロレスでしょって思うんです。大事なのは、そこに戦いがあるか、ないか。昔は自分も小っちゃいところにいたんだなって」

――それは2年のブランクがあったからこそ感じられたことなのかもしれませんね。

▼澤田「なんでそんな小さいことにムキになってたのかなって。インディー批判をしたりしてね」

――今後については?

▼澤田「それはお話が来れば。どうなるかはわかりませんけど」

――リアルジャパンでも結果を残せれば、タイトル戦線などに入っていきたい?

▼澤田「『欲しがりません、勝つまでは』です」

――素朴な疑問なんですが、澤田さんが携わっていた政治とプロレスに共通点はありますか?

▼澤田「政治とプロレスは別物ですけど、共通している部分は『自分からいかに発信していくか?』の大事さなんです。僕がよく猪木会長から言われたのは『プロレスは対世間だ』と。みんなプロレス村の中で、小さいところでやってますけど、対世間をアピールしていかなくちゃいけないとプロレスで学んで。それは政治の世界でも活きているのかなと思いますね」

――「プロレスを通じて世間に発信していきたい」と会見でおっしゃていましたが、今回が新たな第一歩だと。

▼澤田「そうですね。ファンの方には『お待たせいたしました』と。どれだけ待っている方がいたのかわかりませんが、とにかく今の自分を見ていただきたい。ここからスタートするのか? これが終わりになるのか? それはわかりませんが。澤田敦士をよろしくお願いしますと伝えたいですね」

――お話を聞いていると、2年間のブランクがあったからこそ、新鮮な気持ちで試合を迎えられるんじゃないかと感じました。

▼澤田「そういう部分はありますね。僕にとっては令和になって初のプロレスですから。時代も変わったし。おこがましいですけど、景色の変わったプロレス界を改めて見てみたいなと。『恥をかけ。とことん恥をかけ。かいてかいて恥かいて、本当の自分が見えてくる。本当の自分も笑ってた』。そういう猪木会長の言葉もあるじゃないですか。そんな心境ですね。とにかく頑張ります!是非ご注目ください」

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