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9/8【ドラディション】藤波が50周年記念ファイナル12・1代々木で棚橋と一騎打ち、棚橋は最大級の敬意とともに「60分フルタイムの気持ちで」

 ドラディションは8日、東京・新宿の京王プラザホテルで会見。12・1代々木大会の第1弾カードとして藤波辰爾デビュー50周年記念試合 FINAL「藤波辰爾vs棚橋弘至」が決まった。

 昨年から50周年記念ツアーを敢行してきた藤波が12・1代々木でファイナルを迎える。相手は新日本時代の後輩・棚橋。2002年10月以来、約10年ぶりの一騎打ちが実現する。棚橋とは新日本3・1日本武道館大会でオカダ・カズチカを加えた豪華トリオで再会。5・12後楽園大会ではコロナ陽性で欠場となった藤波に代わって棚橋が緊急参戦。その試合後、藤波が「久々にシングルをやりたくなった」と発言すると、棚橋が「藤波さん、勝手ですけど、気持ちは受け取りました」と名乗り。この日、正式に決まった。

 50周年記念の最後にシングルマッチを希望したのは「単に50周年記念大会にするんじゃなくて、そこに何かを残さないといけない。自分の中で勝負に出ていこう」と現役続行へ向けた前向きな思いから。「新日本プロレスがずっと培ってきたものをリング上で一つ二つ。自分がずっと猪木さんから教わったこととか、新日本プロレスの道場でやってきたことがいい形で出せれば」と棚橋との戦いでストロングスタイルを体現する構え。そのためにも「まだ時間がありますんでね、自分自身も久々に鍛え直さないといけない」と万全で当日を迎えるつもりだ。

 棚橋にとって藤波は「今でも憧れであり、尊敬の対象」というほど特別な存在。「藤波さんの立ち姿、ロックアップ、ヘッドロック、基本的な技のすべて、ロープワークも一つ一つがとても美しくて、本当に全プロレスラーのお手本」と最大級の敬意を表し、「大型の外国人選手、身体能力の高い選手いっぱいいる中でどう戦っていくか。あきらめずに立ち向かっていく、ネバーギブアップ。僕はそういう藤波さんの背中を見せていただいて、ちょっと藤波さんよりはチャラくなってしまったんですけど、試合で戦っていくうえで大きなヒントをいただいた」と影響を受けたことを明かした。

 2002年にG1クライマックス初出場を果たした際、デビュー2年10ヵ月の若手だった棚橋は「このままG1出場しても何も期待感が生まれない」と考え、藤波に懇願してドラゴン殺法を伝授された。「直接教えてもらったのは僕だけだと思ってるんで。一子相伝」と胸を張ったように、藤波に手ほどきされた体験は「藤波さんの戦い方、ドラゴン殺法含めて僕は自分のプロレスの幅を広げられた。そこが本当に棚橋弘至っていうレスラーの分岐点だった」と振り返ったように大きな糧となった。

 その師匠的存在といえる藤波と1対1で対峙できる。「こうして藤波さんとシングルができるというのは本当に貴重で僕の人生の財産になるんじゃないか、宝になるんじゃないか。そういう気持ちでいます」と今から胸を躍らせる棚橋は「今の現役選手、若い選手からしたら、もうホントに異次元の世界観を出せるような気がするので。本当に60分フルタイムドローの気持ちで全力で戦います」と宣言。戦いの中で思う存分、藤波を味わい尽くす構えをみせた。

 60分フルタイムといえば藤波がIWGPヘビー級王者として師匠アントニオ猪木を挑戦者に迎え撃った1988年8月8日、横浜での一戦が思い浮かぶ。当時を回想した藤波は「選手はリングに上がった時、ある程度、幅を持って余力持って戦わなきゃいけないんでね。覚悟だけはしておきたい」としたうえで、「猪木さんと横浜で戦った8・8の気持ちで今回はリングに立ちたい」との覚悟を示していた。


☆12/1(木)東京・国立代々木競技場・第二体育館『TATSUMI FUJINAMI 50th ANNIVERSARY THE NEVER GIVE UP TOUR FINAL レック株式会社presents DRAGON EXPO 1971』17:00開場、18:30開始

▼メインイベント 藤波辰爾デビュー50周年記念試合 FINAL
棚橋弘至
(1/60)
藤波辰爾


【会見の模様】
▼藤波「本日はありがとうございます。久々の会見ということで自分自身がちょっと気持ちも焦り気味ですけど、とにかく今回、自分が50周年の記念大会。5月の大会の時に自分が欠場という中で棚橋君に代わりにリングに上がってもらって、最後の場面で自分がリングに上がるっていうきっかけができた中で、どうしてもリングに上がってしまうと我々レスラー、長い経験の中でついどっかで本音として自分の心の中のどこかにあったんでしょうね。ずっとタッグないし6メンという中で、今度、記念大会で上がる時はシングルで一回やってみたいなと。その対戦相手というのが気持ちの中で新日本プロレス入門当時からずっと僕が見てきた棚橋君。とにかく自分が新日本を離れてから目覚ましい成長を遂げて、新日本のトップを走ってる。自分が今この状況を迎えた中で今の新日のトップの選手と当たったらどうなるかっていう。自分の中でもう一回、自分の試しというか、一回シングルを試してみたいなという気持ちから、ああいうリップサービスじゃないんだけど、心の中にあったんでしょう。それが今回こういう形で棚橋君がこの場にこうやって座ってくれたことに感謝したい。自分が言ったからにはただ単に50周年記念大会にするんじゃなくて、そこに何かを残さないといけない。自分の中で勝負に出ていこうと。それを自分の中で現役を続行するためにはいい機会ができたのかなと思います。それと自分が日本プロレスに入門して、猪木さんと一緒に新日本旗揚げに参加させてもらって、自分はプロレスに育てられました。大好きなプロレスに今も現役で続けてるんですが、皆さんと同時に日本全国のプロレスファンの皆様に支えられてここまで来ました。その皆様に自分がやってきた50年がどこかで垣間見えるような大会を開催したい。今回ファイナルが代々木の第二競技場という、ああいうおしゃれな場所にさせてもらったんですが、ファンとともに50年という、自分自身は一つの勝負としてリングに立ちたいと思います。どうぞご期待とともに、よろしくお願いします。今、気持ちが焦った中で言いそびれました。今回、この大会にレック様、本当にありがとうございました。いち早く協賛、メインスポンサーとして冠興行に名乗りを上げていただいて感謝したいと思います。本当にありがとうございます」

▼棚橋「新日本プロレス100年に一人の逸材・棚橋弘至です。今日は会見に呼んでいただきましてありがとうございます。心の底から光栄に思います。僕が新日本プロレスを目指す理由、プロレスラーを目指す理由。藤波さん、武藤さん、新日本プロレスで正統派といわれるプロレスラーに憧れて、藤波さんの肉体美に憧れて一生懸命トレーニングして新日本プロレスに入門して、二人の背中を追いかけてきましたけども、こうして藤波さんとシングルができるというのは本当に貴重で僕の人生の財産になるんじゃないか、宝になるんじゃないか。そういう気持ちでいますけど、藤波さんはしっかりこういう大会でもコンディションを合わせて練習、鍛錬をされてくる方なので、僕もできる限りしっかりコンディションを上げていって、願望ですけど、腹筋バキバキにして、藤波さんが棚橋の体にジェラシーを抱くような。今、新日本プロレスもどんどん若い選手が出てきて、世代闘争、軍団闘争あるんですけど、藤波さんと棚橋という今の現役選手、若い選手からしたら、もうホントに異次元の世界観を出せるような気がするので。本当に60分フルタイムドローの気持ちで全力で戦います」

――棚橋選手にとって藤波選手はどんな存在?

▼棚橋「最初にある気持ちは尊敬ですね。あとは僕はじめプロレスラーを目指す人がたくさんいるということですかね。プロレスラーになった後も大型の外国人選手、身体能力の高い選手いっぱいいる中でどう戦っていくか。あきらめずに立ち向かっていく、ネバーギブアップ。僕はそういう藤波さんの背中を見せていただいて、ちょっと藤波さんよりはチャラくなってしまったんですけど、試合で戦っていくうえで大きなヒントをいただいたので、今でも憧れであり、尊敬の対象であるんですけど、僕はプロレスラーになっているので、そこはしっかりシングルマッチ気持ちを切り換えていきたいと思います」

――藤波選手は棚橋選手をデビュー戦から見てきてレスラーとして改めてどのように評価されている

▼藤波「プロレスラー目指した時と入門してからと、僕がアントニオ猪木さんに憧れた時と状況は変わってますけど、一人のレスラーを目指すと憧れた気持ちは勝手に思ってるんですけど一緒なのかなと。そういう中で今回こういう形で対戦が決まった中で、僕は何年前かな。1988年の横浜で猪木さんに僕が挑んだ時、あの時の気持ち。猪木さんが挑戦者として受けてくれるか無理かなって半々だった。それがああいう形で実現して、あの時の猪木さんの心境というか、今回は僕が棚橋君にオファーした方ですから、そういう中で猪木さんと横浜で戦った8・8の気持ちで今回はリングに立ちたいと思います」

――残されたキャリアの中でこの一戦はどんな意味を持つ? また棚橋選手に伝えたいものは?

▼藤波「これは試合の中でどれだけのものを棚橋君が吸収するかわかりませんけど、とにかく記念大会、自分自身にプレッシャーかけるわけじゃないけど、新日本プロレスがずっと培ってきたものをリング上で一つ二つ。あまり自分自身が突拍子のない器用なことはできませんので、自分がずっと猪木さんから教わったこととか、新日本プロレスの道場でやってきたことがいい形で出せればなと。それには先ほど棚橋君が言った、当日に僕がジェラシー感じるようなバキバキの体にしてと。僕も以前、ジュニアヘビーの時にそういう体を目指してた。まだ時間がありますんでね、自分自身も久々に鍛え直さないといけない。だからって気負うことなく自分の中で12月1日を迎えたいと思います」

――棚橋選手が60分フルタイムドローするぐらいの気持ちでと発言していたが?

▼藤波「その言葉を聞いて、僕が34で猪木さんがちょうど10歳違うんで、僕ははるかにその年を超えてますので、60分って言った時におっと!と思ったんですけどね。選手はリングに上がった時、ある程度、幅を持って余力持って戦わなきゃいけないんでね。覚悟だけはしておきたいと思います」

――60分フルタイムのつもりというのはできるだけ長く藤波選手を堪能したいという思いから?

▼棚橋「まさにその通りで、藤波さんの立ち姿、ロックアップ、ヘッドロック、基本的な技のすべて、ロープワークも一つ一つがとても美しくて、本当に全プロレスラーのお手本というか、その所作も間近で見られるわけだし。本当に勝負論ももちろんそうなんですけど、それ以外の部分で僕にしか味わえない特権なので、そういう意味で60分。無制限でもいいですけどね。藤波さんと猪木さんの横浜の60分というのは本当に体力面でも技術面でも歴史に残る60分というか。なのでちょっとイメージしやすいかなと思って言わせていただきました」

――棚橋選手は藤波選手からドラゴン殺法を直接教わった一人だが?

▼棚橋「ドラゴン殺法、ドラゴンスクリューを武藤さんが使われてるイメージはあるんですけど、直接教えてもらったのは僕だけだと思ってるんで。一子相伝。僕経由でLEONA君に行くかもしれないですけど、兄弟子という形で。藤波さんの戦い方、ドラゴン殺法含めて僕は自分のプロレスの幅を広げられたなと思います」

――藤波選手とのシングルは2002年10月以来10年ぶりになるが?

▼棚橋「20年前ホントに赤タイツで今よりもきっと体力もあってパワーもあったんだとは思うんですけど、全くかなう気がしなくて。20年戦ってきて、藤波さんのキャリアにはまだ半分にも及ばないですけど、キャリアを通して身につけてきたものというのを藤波さんにぶつけたいなと思います。そして先ほども言いましたけど、僕らの世代と今、下の世代とか、もっと若い世代で世代闘争とかあるんですけど、藤波さんと僕の間の世代の戦いというものが熱を生めたら本当に幅広い視点でプロレスが楽しめるんじゃないかなと思うので、そういった部分も大いに期待して頑張りたいと思います」

――思い出のエピソードは?

▼藤波「ずいぶんこれも何年前なのかな。箱根で合宿っていうのか、2、3日一緒に練習したことがあったんだけど。あの時、自分自身が期待してる中で新日本プロレスの歴史の中で時が経つにつれて動きとかレスリングが変わってきても、やっぱり新日本プロレスってもともと猪木さんが新日本プロレスの道場で培ったストロングスタイルというものを持ってるんですね。どっかにしみ込んでるんでしょうけど、本筋というのかな。本来の新日本プロレスはどういうものなのか身につけてるというかね。これってエピソードは思い出せないけど、箱根のことだけは浮かんできましたね」

▼棚橋「僕は初めてG1クライマックスに出場した時に勝手にヤングライオン卒業を宣言して、勝手に赤タイツを履いてってだけのキャリア2年の若手だったので、このままG1出場しても何も期待感生まれないなと思って、急きょ藤波さんにお願いして、G1の直前に道場でいろいろ教えてもらって。それを快く受けていただいた藤波さん。まずそこが本当に棚橋弘至っていうレスラーの分岐点だったなと思いますね」

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