プロレス・格闘技の情報満載!全日本・ノア公式モバイルサイト

3/9【NOAH】原田大輔が引退、1分間マッチで魂の躍動 地声で「17年間ありがとうございました!」

『STAR NAVIGATION 2023』後楽園ホール(2023年3月9日)
原田大輔引退試合エキシビジョンマッチ 原田大輔vs小峠篤司

 NOAHジュニアのエース・原田大輔が引退試合で“魂の1分間マッチ"を展開。後楽園が涙で染まるなか「17年間ありがとうございました」と地声で“心"を伝え、17年間のレスラー生活にピリオドを打った。

 近年のNOAHジュニアに誰よりもこだわり、そして身を削って引っ張り続けてきた男が、無念のなかで最後のリングに立った。

 首の負傷でドクターストップ。昨夏MRI検査で異常が見つかり、「頚椎環軸椎(けいついかんじくつい)亜脱臼」と診断された。これ以上の負荷で脊髄が圧迫された場合、麻痺や呼吸不全で命に関わりかねない重傷だった。

 自覚症状はない。体は動くのに「生きるため」に全盛期のさなかに引退せざるを得なかった。どうしても最後に試合がしたい。1分間のエキシビジョンマッチを自ら提案し、家族と医師からも承諾を得た。

 相手は盟友であり、相棒であり、永遠のライバルでもある小峠篤司。唐突に訪れたキャリア最後のわずか1分間で、何を見せ、何を込めるのか。「今までで一番難しい試合。最後にして最大の挑戦」(原田)に臨んだ。

 「原田」「原田!」の大歓声のなか、ジュニア正規軍、休業中の熊野準らとともに入場。医師立ち会いのもと、大ハラダコールのなかでゴングが鳴り、小峠が求めた握手も払って、いきなりラリアットを狙う。側転での切り返しやカウンターのボディエルボーも叩き込み、串刺しジャンピングエルボー→ランニングエルボーの得意コンボで縦横無尽に駆け回った。

 すでに残りは30秒を切った。大歓声のなかでニーアッパーを繰り出すと、ローリングエルボーを叩き込む。続けて必殺・片山ジャーマンで仕留めにかかったものの、小峠が踏ん張ったところでためらい、1分時間切れのゴングが鳴った。

 片山ジャーマンは自らの首にも負荷がかかる。最後まで勝利を目指したが、もう必殺技すら放てないことを示した切ない幕切れ。すでに号泣する小峠に向けてマイクを持った原田は「最後に俺とプロレスをしてくれてありがとうございました。泣くなよ」と声をかけ、場内はコトウゲコールに包まれる。

 原田は続ける。「ふざけんな、一番泣きたいのは俺やぞ? あなたから始まった俺のプロレス人生、最後もあなたで本当に良かったです。あなたがいてくれたから俺はノアに来てプロレスを続けることができました。あなたがいてくれたから最後の1分、プロレスをさせてもらえました。本当にありがとうございました。大阪プロレスに入ったその日から生意気な後輩でしたけど、今日までお世話になりました。本当にありがとうございました! ファンの皆様が喜ぶ試合を期待してます。お願いします」と感謝し、小峠も深々と一礼してから、顔をくちゃくちゃにしながら引き上げた。

 改めての大ハラダコール。観衆に向き直した原田は「本日はご来場ありがとうございます。今日1分、試合をさせていただくうえで、長濱トレーナー、医療チームの先生方、そしてノア、そして今日集まってくれたお客さん、ABEMAをご覧になってくださってる方、本当にいろんな方の支えがあって今日リングに立つことができました」と再び感謝。「今日でプロレスラー・原田大輔は終わりますが、これからは皆さんと同じノアファンとしてこのプロレスリング・ノアがもう一回業界ナンバーワンに返り咲くところを見ていきたいと思いますので、これからもプロレスリング・ノア、応援よろしくお願いします!」と呼びかけた。

 そして「セレモニーも10カウントゴングもやりません。次の言葉で原田大輔、プロレスラーをドカーン!と終わりたいと思います」とした原田は、マイクを置き、地声で「17年間、ありがとうございました!」と叫んで“心"を伝え、客席も涙で染まった。

 ノア入団から今年で10年。以降、選手離脱や体制変更のたびに窮地に陥ったNOAHジュニアの火を灯し続けてきた。GHCジュニアは5度、ジュニアタッグ王座は6度戴冠。時に王者として熱戦を重ね、時にユニットリーダーとして先頭に立ち、どんな状況でも一貫して“NOAHジュニア黄金期"の再来を目指し続けてきた。

 無情にも志半ばでのリタイアとなったが、最後まで晴れ晴れとした表情のまま見事にリングを去った原田。その功労を知るファンから感謝の大歓声が止まらぬなか、17年間のレスラー生活にピリオドを打った。

【試合後の原田】

▼原田「ありがとうございました。去年の8月から休んで、いろんな気持ちもありました。もっともっとこの大好きなプロレス続けたかったんですけど、すいません。今日の1分が僕の限界です。最後、片山ジャーマンも打てない、受け身も取れない、技もろくに受けれない。本当に1分というのが今僕ができる限界の時間でした。この1分、本当にたくさんの方が支えてくれて承諾してくれて、開催できたこと本当に感謝しかないです。ありがとうございます。もう悔いはないです。これから治療院の先生とかプロレスリング・ノアの皆さんとかに残してくださったこの命を大事に生きていきます。泣くかなと思ったら、小峠さんのほうがボロボロに泣いて(笑) でもよかったです。泣かなくてすみました。最後、楽しくてこの時間がもっと続けばいいなと思ったんですけど、まだまだ僕に足りないものがあったなって思いました。それも含めて17年間、楽しい夢だらけのプロレス人生でした。皆さん、本当にありがとうございました」

――観客の声を聞いてどのように感じた?

▼原田「コロナ禍に入って声援というのが禁止されて、去年の10月ですかね、有明アリーナから部分的にですけど解禁になって。俺その時から休んでて、聞きたいなってずっと思ってたんですけど、最後に聞けてよかったです」

――片山ジャーマンの体勢に入った時にどんな思いが?

▼原田「悔しかったですね。投げたかったですけど、投げれないんですよね。バックを取った時に『いくぞ』って思ったんですけど、できない。そこは葛藤ありました。バック取るのやめといたらよかったなって(苦笑) めっちゃ悔しくなっちゃったんで、あそこで。ジャーマンが打てないようじゃ僕のプロレスもダメだなって」

――今後はどのように考えている?

▼原田「まだ正確に次のことは決まってないんで言えない状況ですけど、会見でも言いましたけど、この元気な体があるうちにプロレスリング・ノアに残って携わることが、プロレスが好きだからこそ、NOAHが好きだからこそ自分の気持ちが続かないと思ったので、NOAHは離れます。こうやってコメントするのも最後ですね。テーピング外すのも最後。なんか今日いろいろ最後づくしでしたね。コスチューム着るのも最後、脱ぐのも今日で最後。これからは本当にプロレスファンとしてプロレスリング・ノアをずっと見続けていきたいと思いますし、リング上のことを知って外から見るほうもこれからしていくので、プロレス魔神になろうかなと思って。プロレス魔神に俺はなる」

――最後の1分は長かった? 短かった?

▼原田「気持ち長く感じたかなっていうぐらいですかね。今日来るまでにこの1週間ぐらいずっと道場に行って、自分の中でイメージして動いてたんですけど、思いのほか結構短かった。それをやってたのもあったんでしょうけど、ゆっくり戦えたかなと思います」

――体も作ってきた

▼原田「最後だからだらしない体で絶対リングに上がりたくなかったので、そこはプロレスをさせていただくうえで体作ることは必須だと思いますし。トレーニングが好きなんで、引退してもトレーニングは続けようと思いますし。明日も昼から取材があるんで、午前中からジム行こうかなと思ってます。よろしいですか? ありがとうございました」

【小峠の話】「泣きすぎて原田に怒られたな。今日、悪いよな、あいつ。泣かしにきてましたよね。いやあ何だろう。終わっちゃいましたね。いろいろ試合前はドクターストップかかった時の話もたぶんいの一番に連絡もらって、全然信じきれなかったですね。変なこと言いますけど、神様なんちゅうむごいことするんやろなって。なんで原田なんだろう? 俺にすりゃよかったのにぐらい凄い考えた。変な言い方ですけど。リング上でも言われましたけど、つらいのは原田のほうですからね。やっぱ改めてプロレスのリングっていうのは危険と隣り合わせなんだなって思ったし、後遺症で戦ってるレスラーっていっぱいいるんで。きれいな体とは言わないですけど、この状態でリング降りれたんならばよかったと思うと、ホント自分にも言い聞かせましたし。どっかに寂しい気持ちはありましたけど、自分がプロレスできてるんで、あいつにも悪いんで、とりあえず気持ち前に向けてこれからもやっていきたいと思います」

プロ格 情報局