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9/12【IGF】アントニオ猪木さん一周忌法要に120人参列 墓前に建立のブロンズ像お披露目

 故・アントニオ猪木さんの一周忌法要が12日、神奈川・横浜市の曹洞宗大本山總持寺で執り行われ、猪木家の墓前に建立されたブロンズ像の除幕式が行われた。

 昨年10月1日、猪木さんが79歳で亡くなってからもうすぐ1年が経過する。この日、猪木さんが眠る總持寺で一周忌法要が執り行われた。

 法要には棚橋弘至、オカダ・カズチカら新日本勢、諏訪魔、宮原健斗ら全日本勢、清宮海斗、拳王らNOAH勢のほか、新日本・坂口征二相談役、藤原喜明、蝶野正洋、藤田和之、小川直也、Sareeeら総勢120人が参列。読経が行われる中、参列者たちが焼香し、猪木さんの遺影に両手を合わせた。

 法要を終えると、猪木さんが眠る墓前へと移動。猪木家の墓地に建立された猪木さんのブロンズ像がお披露目となった。弟・啓介氏によると顔は40〜50代、体は30代の写真を参考に作られたもので、オカダもモデルになったという。生前の偉業と本人の包容力を表現する意味を込めて本人よりも少し大きい110%スケールで、高さは110cm。銅分95%の高耐候特殊ブロンズが使用されている。台座には「燃える闘魂 アントニオ猪木之像」の文字がしたためられている。墓前での焼香後、坂口相談役、蝶野、小川、オカダによって除幕式が行われ、ブロンズ像がお披露目された。

 一般のお墓参りも可能で、啓介氏は「ブロンズ像ができて、これからも皆さん、ファンの方たちがお墓参りに来られると思います。兄貴も来られることを喜んでいるんじゃないかなと思っております」と猪木さんを代弁。プロレスラーの銅像といえば池上本門寺の力道山像が広く知られており、坂口相談役は「それに比するぐらいの、準ずるぐらいの立派な銅像だったですね」と評価。棚橋は「力道山先生の銅像のように、猪木さんの銅像を見に来る、手を合わせていくというファンの方が日本全国から来ると思うんでね。皆さんの目で見てほしいなと思いますね」と話した。


【猪木啓介氏の話】
▼啓介氏「暑い中、本当にありがとうございました。1年というのはこんな早く過ぎるとは思ってもいませんでした。おかげさまでOSGコーポレーションの湯川(剛)会長のおかげで無事に一周忌、および除幕式を終わらせていただきました。本当にこうやってたくさんの皆様が集まって、こんな暑いのにね。先ほど僕はあまりの暑さで背広を着ていられなかったので脱がせていただいたんですけど、本当にありがとうございます。兄貴もああいうブロンズ像ができて、これからも皆さん、ファンの方たちがお墓参りに来られると思います。兄貴も来られることを喜んでいるんじゃないかなと思っております。本来ならば本日、納骨も行う予定だったんですけど、娘の寛子がスケジュールが合わなくてですね。また後程ということで、今年中にはやる予定ですけど、納骨に関してはずれてしまいました。海外に住んでいるためにスケジュールがうまくいかなくて。だけど兄貴もこうやって皆さんが集まっていただいたということだけで本当に喜んでるんじゃないかなと思います。今日はありがとうございます」

――猪木さんのどんな姿を思い出す?

▼啓介氏「自分は海外にいる時、いつも一緒にいさせてもらったんですけど、兄貴の思いというのは皆さんが思ってるようないい方じゃなくて、どちらかというと無理難題をいつも言われてたもんでですね。ただ、兄貴だからしょうがないなという感じでいつも過ごしてきました。兄貴の思い出というのはこないだも夢に出たんですけどね。自分に命令してる、そういうイメージばかりなんですけどね。大好きな兄貴です」

――楽しい思い出というと?

▼啓介氏「特にブラジルに行く時は常に一緒だったもので。何せコロコロ自分でスケジュールを変えるんでね。本当に困る。それこそ向こうで大統領に会うスケジュールを…大統領のスケジュールをこっちで変えるというのもなかなかね(苦笑) 『午後にしろよ』とかいろんなことをやらせられましたんでね。しょうがないなっていうね。特に着いてすぐに『俺すぐに帰るからな』と。飛行機も全部スケジュールを変えないといけない。そういうのを変えるのもあの頃は大変でしたからね。そういう、いろんなことを思い出しますけど、今思うと楽しい思い出になってます」

――銅像はどういうイメージで作った?

▼啓介氏「これはカメラマンの方にお願いして、どういう写真がいいだろうかと丸々1年、選んで選んで。筋肉の付き方とか全部、いつも近くで見ていた人にお願いして、ああいう形にさせてもらいました。顔が40か50ぐらい、体が30ぐらい。ちょっとバランスが違うんですけど、そういうふうに聞いております」

――似ていると思う?

▼啓介氏「顔なんかも何回も見て耳の格好とか、後ろの髪の毛とか、そういうのを全部直しながらやりましたんでね。顔は今日見ても似てるんじゃないかなと思いますね。写真を撮らせてもらって、オカダ選手にモデルになってもらったというかね」

――力道山の銅像もあるが?

▼啓介氏「力道山は手を組んでるじゃないですか。いろいろ話を聞くと、アントニオ猪木はあまり組むことはほとんどないと。こういう感じだったということで、こういうふうにしたわけですけどね。レスリングやってるところをいつも見てくれている人の意見でこういうふうにしたと」

――多くのファンが墓前を訪れると思うが、猪木さんならどんな言葉を伝えると思う?

▼啓介氏「来たら必ずお墓だけじゃダメだろうと。必ず写真を撮るだろうということでブロンズ像を置かせていただいたんですけど、どういうふうに思って皆さんが撮るかというのは何とも言えませんけど、懐かしんでいただけるんじゃないかなと。現役の時のイメージというかね。プロレスをやってた時の。政治家というよりも、どちらかというとプロレスの方のイメージが強いと思うんでね。だからこそブロンズ像もレスリングの形になったと思いますね。顔ももうちょっと真剣な顔でどうだろうかと、それもいろいろと悩んだんですよ。どういう顔にしたらいいか。あまりにもプロレスやってる顔だと怖いだろうというイメージもあったんでね」

――IGFのこれからのビジョンは?

▼啓介氏「僕が担当してるわけじゃないんですけど、IGFそのものはこれから営業ですね。アントニオ猪木のキャラクターを利用した営業をやるというのが。でも、その権利を持ってるのがアメリカにいる寛子がやるわけですからね。何とかいい営業をしてほしいなと思ってます」

――一周忌興行は予定している?

▼啓介氏「そういうのは今IGFでは考えてないと思いますね。誰かが考えてるかどうか、そこまでは分からないですけど」


【棚橋の話】
▼棚橋「この1年、改めて猪木さんの存在の大きさというのを感じながら過ごしましたね。新日本の選手は僕も含めてこの1年間、猪木さんに見てもらっても恥じないというか、よく頑張ってるなと思ってもらえるようにやってきたつもりですね。これから新日本プロレスに入門してくる選手も猪木さんを知らない若い選手がどんどん入ってくるんですけど、そういった選手にもやはり猪木さんが作られた新日本プロレスで何かしら受け継いでいかないといけないと思うし、僕が外した猪木さんのパネルもこの映画のタイミングというのもありましたし、猪木さんが亡くなられたということもあって道場に戻りましたので。これから猪木さんに見てもらってる、見られてるというプレッシャーを感じながら、みんな気合の入った練習ができると思います。これからもプロレスの灯を絶やさずにつないでいきたいと思います」

――ブロンズ像の感想は?

▼棚橋「筋肉の陰影もしっかり浮かび上がってましたし、猪木さんの表情とか、本当に今風の表現でいうと盛れてると。すげぇカッコよかったですね。これから池上本門寺の力道山先生の銅像のように、猪木さんの銅像を見に来る、手を合わせていくというファンの方が日本全国から来ると思うんでね。皆さんの目で見てほしいなと思いますね」

――道場の猪木さんのパネルはいつから掲げ直した?

▼棚橋「今年の夏前ですかね。映画の撮影もあったタイミングだったんですけど」

――猪木さんの何かしらを受け継いでいくために特に意識するのは?

▼棚橋「そうですね。猪木さんの闘魂というのは受け継いでいく選手もいるだろうし、マイノリティがゆえに反骨心もあるだろうし。猪木さんというのは一つの側面だけじゃなくて、プロレスをみんなに認めさせるというような原動力というのか、もっと広めたい。そういった部分は僕はこれからもやっていきたいなと思います」


【坂口相談役の話】
――法要を終えて率直な思いは?

▼坂口相談役「早い1年といいますか、過ぎましてね。本当に月日の経つのは早いもので。偉い人が亡くなるといろいろと話題になって、その人の価値っちゅうのが出るっていいますかね。その通り1年間、いろんなことがあって、自分も50年ぐらい猪木さんと一緒にいましたけど、一周忌を迎えてまた新たに昔のことを思い出すことがありましたね。この時計も今日してきたけどね。還暦の時、20年前だけど猪木さんがお祝いでくれたんだよね。ほかにもロレックス持ってたけど、これだけは手放さず未だに付けてますよ。思い出っちゅうかね。形見ですよね。こうして亡くなって1年経ちますけど、まだまだ話題になってみんなが惜しんでくれてると思いますね」

――一番思い出す猪木さんの姿は?

▼坂口相談役「日プロ時代から選手として、またフロントとして、OBとして50年ぐらい一緒だったですけどね。仕事で俺にできないようなことをやったりしてね。ホント思い出しますね。人がやらないことをやるのがあの人の…多くの失敗もしましたしたけど、成功もしたり、そういう人だったですね。いい50年。俺にとってはいい人だったですね。猪木さん、ありがとうございました。そういう人だった」

――銅像を見て思い出がよみがえった?

▼坂口相談役「立派な銅像だったよね。今日、初めてみたけど。池上本門寺に力道山先生の銅像があるし、それに比するぐらいの、準ずるぐらいの立派な銅像だったですね」

――成功した思い出というと?

▼坂口相談役「いつも言うけど、人にはできないようなプロレスをずっとやってきて、格闘技戦やって、アリ戦もやって。そういうのを先駆者としてやって、猪木さんのプロレスは誰も真似できないよね。柔道でいう木村政彦さんの木村の前に木村なし、木村のあとに木村なしっちゅうぐらいね。猪木の前に猪木なし、猪木のあとに猪木なし。そのぐらいのプロレスをやってましたね」

――猪木さんは天国で何をしていると想像する?

▼坂口相談役「馬場さんと1杯飲んでるんじゃないの? 仲良くなってるんじゃないの? 飯でも食ってるんじゃない?」


【藤原の話】
▼藤原「亡くなってから早いという、そういうことですね」

――ブロンズ像を見た感想は?

▼藤原「僕ずっと本物を見てたんで、似てるけど、ちょっと違うかなみたいな。俺だったら、こここういうふうに作るなという所はありましたけど、出来としては上出来ではないかと」

――どのあたりが一番よかった?

▼藤原「全体的に雰囲気は出てましたけど、細かい所ね。もっと絶壁があったとかね、もう少しアゴが出てたんだけど。あともうちょっと首が太かったな。まぁ、いろいろありましたね。でも総合的にみると、猪木さんを知らないというか、近くで見てない人が作ったんですから上出来ではないかと、そう思います。作者の方にお詫び申し上げます」

――藤原選手にとって猪木さんはどんな師匠だった?

▼藤原「そうですね。凄く純粋で騙されやすくて正直で、何か横浜の鶴見で生まれた少年がそのまま大きくなったような。正直で純粋で、ちょっと短気なところもあって、そうはいくかいみたいな。30ちょっとで何十億という借金をしてモハメド・アリと戦った。あれは真似できないんじゃないですかね。30ちょっとですよ。何十億という借金をして戦った。失敗したらどうしようとか、たぶん考えてなかったんですよね。そういうところが凄いというか無謀というかね。そこが猪木さんの魅力だったんじゃないかな。そう思います。おかげさまで晩年、よく六本木から電話がかかってきまして、『藤原ちょっと来い。1時間で来い』。『無理ですよ。これから家に帰ってシャワー浴びて着替えてタクシー呼んで着替えていくんですから』。『でも来い』と。急いでタクシー呼んで時間ピッタリに行ったんですよ。6時半って言われたんですよ。『何だ、お前。もっとゆっくりでいいのに。気を利かせろ』って言うんです。で、ニヤッと笑うんです。こんなこと言っていいのかわからないけど、茶目っ気というかユーモアというか、そういうのがあったですね。最後に乾杯やるんですよね。『さぁ、終わるか』ってね。必ずテキーラなんですよ。コップ1杯。『お前らみんなテキ(敵)ーラや』ってカーっと飲むんです。何だ、俺も敵だったのかと。最後に、物凄く素晴らしい思い出をいただきました。自分もすぐ行きますので待っててください。寂しいな」

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