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8/24【FMWE】大仁田が聖地・川崎で50周年記念試合 ドリー&西村に敗戦も「古希電流爆破を目標に頑張っていきます」

 『テリー・ファンク一周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会「川崎伝説2024」』が24日、神奈川・富士通スタジアム川崎(旧・川崎球場)で行われ、大仁田厚が50周年記念試合で雷神矢口と組んでドリー・ファンク・ジュニア&西村修と電流爆破&地雷爆破ダブルヘルタッグデスマッチで対戦。敗戦に終わったものの、4年後の「古希電流爆破」を目標に掲げた。

 大仁田は1973年に全日本プロレスに“新弟子第1号"として入門し、翌1974年4月14日、後楽園ホールにおける佐藤昭雄戦でデビュー。2017年10月に7度目の引退をしたが、1年後に7度目の復帰。2019年2月には両ヒザの人工関節置換術を受け、昨年5月には腹部大動脈りゅうの手術を受けるなど満身創いながらも、古巣・全日本のリングで初の電流爆破デスマッチを敢行するなど、66歳の今なお活躍を続けている。そしてこの日、50周年興行を迎えた。

 当初、50周年興行のリングにテリー・ファンクの招へいを熱望していたが、昨年8月23日(日本時間24日)にテリーが亡くなった。聖地での記念興行を開催すべく動いた結果、会場側から指定された日程はテリーの命日。運命的な状況に大仁田はテリーの1周忌追悼と兄ドリーの招へいを決断。ドリーは83歳と高齢ながら大仁田の熱意にほだされ、電流爆破のリングに立つ決意を固めた。そしてステージ4のがんと闘病中ながら師匠ドリーを守るべく西村がパートナーとして出陣を決めた。

 50周年記念試合の試合形式は「電流爆破&地雷爆破ダブルヘルタッグデスマッチ」。2方向に有刺鉄線電流爆破、2方向のリング下に地雷爆破、リング上には電流爆破バットが4本設置される危険なルールだ。

 ドリーは代理人である大隅良雄氏が故・テリーさんのジャンパーを手にセコンドについて入場。試合前の追悼セレモニーではテリーさんの遺影を手に10カウントゴングを聞いた。先発で飛び出したドリーは大仁田とロックアップで渡り合い、得意のエルボースマッシュを叩き込む。西村も大仁田を有刺鉄線電流爆破に投げつけ、電流爆破バットで殴打した。

 ならばと大仁田は西村に毒霧を噴射。矢口が有刺鉄線電流爆破の餌食にした。さらに大仁田がドリーを電流爆破バットで殴打したが、2発目は西村が身を挺して阻止。矢口のラリアットを大仁田に誤爆させた西村は2人を場外に蹴落として地雷爆破。さらに電流爆破バットで矢口をぶん殴ると、ドリー、西村の順で伝家の宝刀スピニングトーホールドを決めて矢口をギブアップさせた。

 大仁田50周年記念試合はドリー&西村の師弟コンビに凱歌が上がった。ドリーは「サンキュー、ブラザー(テリー)。サンキュー、ファーザー(ドリー・ファンク・シニア)。ジャパニーズファン、サンキュー!」と感謝のメッセージ。西村は「時代とともにプロレスは進化を遂げております。しかし、決して忘れてはならないこと、失っていけないものがあります。最後の来日、試合となってしまいましたが、60数年のドリーさんの功績を称えて、皆さまの頭の片隅にドリーを永遠に記憶しておいてください」と訴えると、「私自身もやり残したもの、言い続けたいものがあります。必死にプロレス、政治で生きてまいりたい」と今後へ向けた決意を口にした。

 記念試合を勝利で飾れなかったものの大仁田は「ドリー、西村選手、ありがとうございます。矢口選手、会場に来てくれた皆さん、ありがとうございます!」と感謝。「プロレスにはいろんな形があります。勝っても負けても記憶に残るような試合を感じていただいたと思います。テリーも天国で喜んでいます。テリー・ファンクを忘れないでください」と呼びかけると、「ドリー・ファンクよ、永遠に、1、2、3、ファイヤー!」の叫びで締めくくった。

 サイン会終了後、大仁田は「西村さんがステージ4で脳まで転移して。それでもリングに上がってくれる。83のドリーがテリーのためにリングに上がってくれる。こういうプロレスがあってもいいと思うから。その人の生き様や背景、そういったものが感じられる試合がしたかった」と振り返った。「ドリーが無事日本に来てくれて、リングに上がってくれた現実、西村さんが医者の同行の元リングに上がってくれた。2人に感謝します。支えてくれたファンに感謝します」とあらためて感謝すると、「プロレスは永遠に不滅です」とキッパリ。70歳となる4年後の2028年を見据えて「今後また70歳古希電流爆破を目標に頑張っていきます」と誓っていた。

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