【G馬場没25年追善興行】ケアが完全燃焼で引退 師匠・馬場さん、GURENTAIの仲間、観客に“感謝"の別れ 2025/1/31
『ジャイアント馬場没25年追善〜太陽ケア引退試合〜木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』後楽園ホール(2024年1月31日) 太陽ケア引退試合 ○秋山準&丸藤正道&小島聡vs鈴木みのる&MAZADA&太陽ケア× ケアが秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーを食らってごう沈し、完全燃焼で引退。師匠であるジャイアント馬場さん、GURENTAIの仲間、先輩のレスラーや観客に何度も“感謝"の言葉を送り、リングに別れを告げた。 馬場さんの愛弟子であるケアは1994年11月26日に全日本プロレスでデビュー。全日本分裂後の2000年にマウナケア・モスマンから太陽ケアに改名し、三冠王座戴冠やチャンピオン・カーニバル2度の優勝(2006年、2012年)など数々の実績を残した。 2023年6月には久々に全日本に参戦。その後はリングから遠ざかり、現在は実業家として活動していたが、師匠である馬場さんの没25年追善大会での現役引退を決意。かつて行動を共にしていた鈴木&MAZADAとGURENTAIを再結成し、全日本マットで対戦経験のある秋山&丸藤&小島の強力トリオと激突した。 馬場さんの命日でもあるこの日、後楽園ホールには1717人(超満員札止め)の観客が集まった。GURENTAIの元メンバーである高山善廣のほか、スタン・ハンセン、馳浩からの激励VTRメッセージが流れると、ケアがGURENTAIの面々とともに入場。入場ゲートの幕に描かれた馬場さんとグータッチを交わすと、鈴木とMAZADAがロープを開いてリングに招き入れる。メンバーのNOSAWA論外もセコンドに付いた。 先発したケアは、全日本マットでタッグを組んでいた時期がある秋山と基本に忠実な動きでせめぎ合う。若手時代の後輩にあたる丸藤には「ケアさん久しぶり」と顔面を踏みつけられ、元パートナーの小島にはショルダータックルで吹き飛ばされたものの、急角度のDDTで突き刺して、自力でピンチを切り抜けた。 GURENTAIが巻き返しに出ると、セコンドの論外もちゃっかり加勢。鈴木が小島を実況席に連行すると、ケアも巻き込まれて、小橋健太の逆水平を浴びる場面も見られた。GURENTAIは元祖ブラインドタッチを駆使して小島を圧倒。ケアも加わり、トリプルフロントハイキックもクリーンヒットする。鈴木は盟友の引退試合に発奮。元パートナーの丸藤と火花散る逆水平合戦を繰り広げ、怨敵・秋山とも頭突きを打ち合うなど激しくやり合うと、チャンスを作ってケアにタッチを渡した。 ケアは得意のサンケアキックを見舞うと、鈴木とMAZADAが加勢。連続串刺し攻撃を浴びせると、鈴木とMAZADAが分断に動く。ケアはTKOを狙うも不発。秋山がカウンターのラリアットで巻き返すと、丸藤のフックキック、小島のローリングエルボー、丸藤の虎王、秋山のランニングニーが連続してさく裂した。そして、秋山はエクスプロイダーで追い討ちをかけた。 ケアに声援が飛ぶと、自力でキックアウト。「ケア」コールに呼応するようにケアもTKOで逆襲に出た。しかし、エルボー合戦から巻き返した秋山は生ヒザ式のニーリフトからエクスプロイダーを再び決めると、なおも粘るケアをリストクラッチ式エクスプロイダーで沈めた。 ケアが引退試合でごう沈。大の字になったケアに鈴木とMAZADAが手を貸して立ち上がらせる。引退セレモニーが始まると、全日本とNOAHの分裂時に苦楽を共にした川田利明と渕正信、激しい抗争を繰り広げたブードゥー・マーダーズのTARU、BATTとして共闘した武藤敬司が登場。それぞれケアに花束を贈呈して労をねぎらった。 マイクを持ったケアは「まずはジャイアント馬場さんに感謝の言葉を送りたいです。ありがとうございます。僕を拾ってくれたことは彼にとってチャンスだったと思いますが、ギャンブルでもありました。ただ、馬場さんがいなければ私はここにいません。僕のことを信じてくれました。だから、僕がリングに上がるためには、僕のためにも戦っていましたが、馬場さんのためにも戦ってました。それがあったからこそ、自分は自分の夢を叶えることができました」と天国の馬場さんへ感謝の意を表した。 そして、「ニホンノファン、ドウモアリガトウゴザイマシタ」と日本語で観客にあいさつ。「あなたたちがいなければ、全日本プロレスも新日本プロレスもないです。すべてはあなたたちのおかげです」と観客にも感謝すると、鈴木とMAZADA、論外、そして高山にも「サンキュー」と感謝の言葉を告げて締めくくった。 出場選手たちがリングサイドに集結すると、引退の10カウントゴングが打ち鳴らされる。木原リングアナが最後の選手コールを叫ぶと、場内は大きな拍手に包まれた。記念撮影を終えたケアは、和田京平レフェリーに手を掲げられながら、声援に応え、完全燃焼でマットに別れを告げた。 バックステージでは「もう30年も経っているんですよね。スゴイハヤイ。あっと言う間でした。いろんな人たちに感謝の言葉を送りたいです。僕よりも前にレスラーとして活躍していた選手にも感謝したいと思います」と感慨深げにレスラー生活を振り返ったケア。「一番ありがたかったのは、自分のやり方で引退を決めることができました。本当にそれは嬉しいことです。30年前にプロレスを始めた時、どういう引退をすればいいんだろうと想像したのは、まさに今日みたいな形でした」と晴れやかな表情を見せると、「ここにいる兄弟たち(鈴木&MAZADA)にも感謝の言葉を送りたいです」と最後まで感謝の言葉を重ねていた。 【試合後の鈴木&ケア】 ▼ケア「信じられません。もう30年も経っているんですよね。スゴイハヤイ。あっと言う間でした。いろんな人たちに感謝の言葉を送りたいです。僕よりも前にレスラーとして活躍していた選手にも感謝したいと思います。一番ありがたかったのは、自分のやり方で引退を決めることができました。本当にそれは嬉しいことです。30年前にプロレスを始めた時、どういう引退をすればいいんだろうと想像したのは、まさに今日みたいな形でした。ここにいる兄弟たちにも感謝の言葉を送りたいです」 ――鈴木選手にとってケア選手とGURENTAIとして戦っていた頃はどんな時間だった? ▼鈴木「一緒にやったのはGURENTAIでたった2年間。だけど、2年の間、2人でずっと世界タッグを持ってて。2年持ってたからね。それで、ケアを通して、俺は会ったこともない、見たこともない、どんな話し方をするかも知らないジャイアント馬場さんを感じることができた。そして、全日本プロレスというものからこの30年間一度も抜けずに残ってきた、全日本プロレスを感じることのできる選手だった。あと、日本とハワイ、日本語と英語、全然違うんだけど、なんか気が合うんだよね。一緒に試合をやってて。タッチのタイミングとか、角度とか、細かい部分がピシッピシッとハマってくれる最高のパートナーだった」 ――引退という決断はどう捉えている? ▼鈴木「たかだか30年ぽっちのキャリアで疲れたとか言ってんじゃねえよ。30年じゃダメだよ。まあ、いいや。俺は37年? 俺はもう辞め時を忘れたんで。でも、こうやって送り出してもらえるっていうのは、やっぱりみんなに…。アメリカ人なのに、ハワイアンなのに、日本以外のリングでほとんどプロレスやってない。日本だけでプロレスをやってきた。これはすごいよね。日本人以上に日本のプロレス、全日本プロレスというのを知っているんじゃないのかなと。面白いもんだよ。俺が全日本に参戦したのは約20年ぐらい前。あの時に、MAZADAとNOSAWAと『面白いね。一緒にやろうよ』って3人でガチャガチャガチャガチャ始めている時に、ちょうどケアがスランプになって、ガタガタしていて、『なにやってんだよ。こいつ、スゲェ強いのに』と思って。なんか俺がいてもたってもいられなくなって、声をかけて。『一緒にプロレスやろうよ。もっと面白いよ、プロレスは』って声をかけて、GURENTAIが始まって。たった2年という期間だったけど、あの2年は俺にとって物凄い大きかったね。プロレスの幅が物凄い広がった時間だった。今回辞める時も真っ先に声をかけてくれて、一緒にやろうと。それもありがたかった」
『ジャイアント馬場没25年追善〜太陽ケア引退試合〜木原文人リングアナデビュー35周年記念大会』後楽園ホール(2024年1月31日)
太陽ケア引退試合 ○秋山準&丸藤正道&小島聡vs鈴木みのる&MAZADA&太陽ケア×
ケアが秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーを食らってごう沈し、完全燃焼で引退。師匠であるジャイアント馬場さん、GURENTAIの仲間、先輩のレスラーや観客に何度も“感謝"の言葉を送り、リングに別れを告げた。
馬場さんの愛弟子であるケアは1994年11月26日に全日本プロレスでデビュー。全日本分裂後の2000年にマウナケア・モスマンから太陽ケアに改名し、三冠王座戴冠やチャンピオン・カーニバル2度の優勝(2006年、2012年)など数々の実績を残した。
2023年6月には久々に全日本に参戦。その後はリングから遠ざかり、現在は実業家として活動していたが、師匠である馬場さんの没25年追善大会での現役引退を決意。かつて行動を共にしていた鈴木&MAZADAとGURENTAIを再結成し、全日本マットで対戦経験のある秋山&丸藤&小島の強力トリオと激突した。
馬場さんの命日でもあるこの日、後楽園ホールには1717人(超満員札止め)の観客が集まった。GURENTAIの元メンバーである高山善廣のほか、スタン・ハンセン、馳浩からの激励VTRメッセージが流れると、ケアがGURENTAIの面々とともに入場。入場ゲートの幕に描かれた馬場さんとグータッチを交わすと、鈴木とMAZADAがロープを開いてリングに招き入れる。メンバーのNOSAWA論外もセコンドに付いた。
先発したケアは、全日本マットでタッグを組んでいた時期がある秋山と基本に忠実な動きでせめぎ合う。若手時代の後輩にあたる丸藤には「ケアさん久しぶり」と顔面を踏みつけられ、元パートナーの小島にはショルダータックルで吹き飛ばされたものの、急角度のDDTで突き刺して、自力でピンチを切り抜けた。
GURENTAIが巻き返しに出ると、セコンドの論外もちゃっかり加勢。鈴木が小島を実況席に連行すると、ケアも巻き込まれて、小橋健太の逆水平を浴びる場面も見られた。GURENTAIは元祖ブラインドタッチを駆使して小島を圧倒。ケアも加わり、トリプルフロントハイキックもクリーンヒットする。鈴木は盟友の引退試合に発奮。元パートナーの丸藤と火花散る逆水平合戦を繰り広げ、怨敵・秋山とも頭突きを打ち合うなど激しくやり合うと、チャンスを作ってケアにタッチを渡した。
ケアは得意のサンケアキックを見舞うと、鈴木とMAZADAが加勢。連続串刺し攻撃を浴びせると、鈴木とMAZADAが分断に動く。ケアはTKOを狙うも不発。秋山がカウンターのラリアットで巻き返すと、丸藤のフックキック、小島のローリングエルボー、丸藤の虎王、秋山のランニングニーが連続してさく裂した。そして、秋山はエクスプロイダーで追い討ちをかけた。
ケアに声援が飛ぶと、自力でキックアウト。「ケア」コールに呼応するようにケアもTKOで逆襲に出た。しかし、エルボー合戦から巻き返した秋山は生ヒザ式のニーリフトからエクスプロイダーを再び決めると、なおも粘るケアをリストクラッチ式エクスプロイダーで沈めた。
ケアが引退試合でごう沈。大の字になったケアに鈴木とMAZADAが手を貸して立ち上がらせる。引退セレモニーが始まると、全日本とNOAHの分裂時に苦楽を共にした川田利明と渕正信、激しい抗争を繰り広げたブードゥー・マーダーズのTARU、BATTとして共闘した武藤敬司が登場。それぞれケアに花束を贈呈して労をねぎらった。
マイクを持ったケアは「まずはジャイアント馬場さんに感謝の言葉を送りたいです。ありがとうございます。僕を拾ってくれたことは彼にとってチャンスだったと思いますが、ギャンブルでもありました。ただ、馬場さんがいなければ私はここにいません。僕のことを信じてくれました。だから、僕がリングに上がるためには、僕のためにも戦っていましたが、馬場さんのためにも戦ってました。それがあったからこそ、自分は自分の夢を叶えることができました」と天国の馬場さんへ感謝の意を表した。
そして、「ニホンノファン、ドウモアリガトウゴザイマシタ」と日本語で観客にあいさつ。「あなたたちがいなければ、全日本プロレスも新日本プロレスもないです。すべてはあなたたちのおかげです」と観客にも感謝すると、鈴木とMAZADA、論外、そして高山にも「サンキュー」と感謝の言葉を告げて締めくくった。
出場選手たちがリングサイドに集結すると、引退の10カウントゴングが打ち鳴らされる。木原リングアナが最後の選手コールを叫ぶと、場内は大きな拍手に包まれた。記念撮影を終えたケアは、和田京平レフェリーに手を掲げられながら、声援に応え、完全燃焼でマットに別れを告げた。
バックステージでは「もう30年も経っているんですよね。スゴイハヤイ。あっと言う間でした。いろんな人たちに感謝の言葉を送りたいです。僕よりも前にレスラーとして活躍していた選手にも感謝したいと思います」と感慨深げにレスラー生活を振り返ったケア。「一番ありがたかったのは、自分のやり方で引退を決めることができました。本当にそれは嬉しいことです。30年前にプロレスを始めた時、どういう引退をすればいいんだろうと想像したのは、まさに今日みたいな形でした」と晴れやかな表情を見せると、「ここにいる兄弟たち(鈴木&MAZADA)にも感謝の言葉を送りたいです」と最後まで感謝の言葉を重ねていた。
【試合後の鈴木&ケア】
▼ケア「信じられません。もう30年も経っているんですよね。スゴイハヤイ。あっと言う間でした。いろんな人たちに感謝の言葉を送りたいです。僕よりも前にレスラーとして活躍していた選手にも感謝したいと思います。一番ありがたかったのは、自分のやり方で引退を決めることができました。本当にそれは嬉しいことです。30年前にプロレスを始めた時、どういう引退をすればいいんだろうと想像したのは、まさに今日みたいな形でした。ここにいる兄弟たちにも感謝の言葉を送りたいです」
――鈴木選手にとってケア選手とGURENTAIとして戦っていた頃はどんな時間だった?
▼鈴木「一緒にやったのはGURENTAIでたった2年間。だけど、2年の間、2人でずっと世界タッグを持ってて。2年持ってたからね。それで、ケアを通して、俺は会ったこともない、見たこともない、どんな話し方をするかも知らないジャイアント馬場さんを感じることができた。そして、全日本プロレスというものからこの30年間一度も抜けずに残ってきた、全日本プロレスを感じることのできる選手だった。あと、日本とハワイ、日本語と英語、全然違うんだけど、なんか気が合うんだよね。一緒に試合をやってて。タッチのタイミングとか、角度とか、細かい部分がピシッピシッとハマってくれる最高のパートナーだった」
――引退という決断はどう捉えている?
▼鈴木「たかだか30年ぽっちのキャリアで疲れたとか言ってんじゃねえよ。30年じゃダメだよ。まあ、いいや。俺は37年? 俺はもう辞め時を忘れたんで。でも、こうやって送り出してもらえるっていうのは、やっぱりみんなに…。アメリカ人なのに、ハワイアンなのに、日本以外のリングでほとんどプロレスやってない。日本だけでプロレスをやってきた。これはすごいよね。日本人以上に日本のプロレス、全日本プロレスというのを知っているんじゃないのかなと。面白いもんだよ。俺が全日本に参戦したのは約20年ぐらい前。あの時に、MAZADAとNOSAWAと『面白いね。一緒にやろうよ』って3人でガチャガチャガチャガチャ始めている時に、ちょうどケアがスランプになって、ガタガタしていて、『なにやってんだよ。こいつ、スゲェ強いのに』と思って。なんか俺がいてもたってもいられなくなって、声をかけて。『一緒にプロレスやろうよ。もっと面白いよ、プロレスは』って声をかけて、GURENTAIが始まって。たった2年という期間だったけど、あの2年は俺にとって物凄い大きかったね。プロレスの幅が物凄い広がった時間だった。今回辞める時も真っ先に声をかけてくれて、一緒にやろうと。それもありがたかった」